みなさま、こんばんは。

いつも、ありがとうございます。


長女と一緒に、某寺社に参拝させて頂き、某院へ参りました。長女は初めてですが、わたしは昨年もお参りしているので、流れはだいたいわかっています。


先客がいたので、外の椅子に座って待っていました。順番になり、案内説明の方(年配の信徒さんなのか、寺社関係の人かボランティアさん?)の声掛けに従い、御座敷に上がらせて頂きました。


目の前のお賽銭箱のようなものが目に入り、案内説明の方が説明に入る前に、「お賽銭を入れよう」と思って、お財布からお金を出そうとしたところ、その方から「500円になります」と言われました。


その瞬間、えっ!?と驚き、わたしは思わず「この前、来た時は無料でしたが…」と口走っていました。すると「ご祈祷をしますのでね」とその方は仰ります。


ご祈祷?どういうことだろう?

お参りの仕方、システムが変わったのかな?何か違うことをするのかな?とも思いましたが、この人が勝手にそう言っているのではないかとも疑いました。


何か変だ、納得がいかないと思い、お金を取られるならお参りしなくてもいいやと一瞬過ぎりましたが、さすがにそれもどうかと思い留まり、長女からも諭されて、500円を入れました。


その人から、説明の紙を渡されて、「初めての人だと、説明するのに大変なんですが…」(そんな事、言う必要あるか?←心の声)「娘さんが初めてということなので、説明しますと…」と言って、始まりました。


ですが、その人の説明は、特に前回の人と違う訳でもなく、ご祈祷と言っていましたが、特に何をする訳でもなく、その内容は前回と何ら変わりありませんでした。


それで、終了後に余計にもやもやしていたものが、大きく膨らんで、納得がいかない!騙された!ぼったくりじゃないかっ!と怒りが出てきました。


500円を取るなら、どこかに注意書きでも貼っておいた方がいいし、本来のご祈祷ならわかりますが、こういう事に金額を指定してくるなんて、おかしくないか?と思いました。


「お気持ちで結構ですので」とか、他に言いようもあるだろうに。この人のこのやり方は、どういう意図があって、どういう気持ちからやっているんだろう?と思いました。


もう、お金が絡むと、自我は大暴れです。特に今は、失業中で収入もないため、緊縮財政に励んでいるだけに、予定通りにいかないことに、怒りも増し増しです。


その後、本殿で予定通りご祈祷をして頂き、少し落ち着いて、考えていました。


もしかしたら、前回も本当はお賽銭500円は必要だったのではないか?と。何らかの理由で、前回の人は、わたしにそれを言えなかった、言わなかったという事もあるのではないかと。

(前回来た時は、そこに座って手を合わせた途端に、訳もなく泣き始めてしまいましたので)


わたしは何にそんなに怒っているのだろうか?


お賽銭は自発的にあげるつもりでいたので、それに抵抗がある訳ではなく、金額を指定された事が、引っかかっていました。


それで、せっかく気持ちよく神様へご挨拶させて頂こうと思っていたのに、私と神様との関係を、この人に邪魔された、穢されたとの想いもありました。


結局、自分の思うように出来なかった、ならなかった事への不満、こうしたい、ああしたいという我欲です。


そこには、お参りさせて頂くという謙虚さの欠片もなく、傲慢な自分が在るだけでした。


それから、前回と今回を比較し、良い悪い、正解不正解を判断し、今回を否定、非難、批判をしています。


また、過去は過去、今は今、前回はそうだったからと言って、今回も同様であるとは限りません。今ここの点ではなく、線で生きているということ。


そして、神事とはこうあるべきみたいな、自我の固定観念もありました。


到来した現実は、最善の學びと教えられています。


500円と言われた時に、例え疑問が生じたとしても、それをすぐに外して、今ここに集中し、すぐに自我を最後尾に下げて、ただ分かりました、そうなんですねと、言われるままに黙って素直に現実を受け入れて、意識を調え、だた500円をエネルギーとして投入すればよかったのだと思います。


せっかくの神事を穢したのは、何の事はない、その人ではなく、わたし自身が穢していたのだと思い至りました。


ちょっとした事で、全てが変わってしまう。瞬間瞬間でタイムラインが変わり、だから瞬間瞬間で生きるということなのかと思いました。


たかだか500円でぼったくりだとか、神事にお金をケチるとか、いくらお金がないからと言って、強欲過ぎないか?


あちらでご覧になっていると思われる、ガイドさん始め、守護霊、指導霊からなる応援団から、「あ〜あ」「またやっちゃってるよ〜」と、呆れられているのではないかと思いました。


ほんと、全然學べていないし、一体これまで何を學んできたのかと、思い知らされる事ばかりです。


セッションでは、自我の壁が厚いので、と言われていましたが、ほんとそれしかありません。


とにもかくにも、継続あるのみ。



それでは、みなさまごきげんよう

今日も、お読み頂きありがとうございます