みなさま、こんばんは
いつも、ありがとうございます
長女が遠方より、遊びに来ました。
来る数日前に、「もうすぐ会えるね!」とLINEがきました。
その時、胸が「うっ」と詰まりました。いつもなら、「そうだね」とか「楽しみだね」とか返信するところですが、その時は、素直にそういう気持になれず、心にもない事を書いて送ることも出来ませんでした。
それで、「う、うむ」なんていう変な返信をして、長女から「なに?」と問い返されました。(まあ、当然ですね)
長女の「もうすぐ会えるね!」のLINEから、長女はわたしに会えることを楽しみにしてくれているのかと思いましたが、それを疑う自分がいました。
「わたしに会いたいなんて思う人がいるはずはない」という不信感、猜疑心があるのを自覚しました。
それは、長女に対してということではなく、すべての人に対しての想いでした。
この想い、自分は皆から嫌われているというのは、ずっと昔からあったものの、最近は影を潜めておりましたが、ここに来て再燃です。
相当いじけているな、僻み根性丸出しだなと思いました。
これを観ていくと、自分で自ら孤独の世界を創っているのに、勝手に拗ねており、承認欲求と依存が垣間見られます。
長女のLINEも、実際はどういう気持ちや想いがあってのことか分からず、ただ事実を言っただけなのかも知れないのに、わたしは自分の受け取りたいように、長女が好意的に言ってくれているのだと、捉えていました。
そして、そこにドラマを創っていたのだと思いました。ただ、そこに在るものを、自我がやりたいように脚色をして色をつけているのだと思いました。
それは、まるで一人芝居をしているようで、あほらしくさえもあります。これに何の意味があるのでしょう、何の意味もありません。実にバカげた事だと思いました。
長女とは、途中の駅で待ち合わせをしたのですが、特に何の感情もなく?心が動くという感覚がなく、会った瞬間に「じゃあ、行こうか」と、妙にその場に馴染んで動き出したのが、ちょっと肩透かしにでもあったかのようで、正直面白くありませんでした(笑)
わたしとしては長女とは久し振りに会うので、私自身がもっと嬉しいとか喜ぶとかあるものだと思っていたのですが、余りに自分が素っ気なくて、つまらないなと感じました。
つまりは、ドラマを展開したかったのでしょうが、今回はそうはいかなかったようです。
その時は、長女が私のことをどう思っているとか、どう思われているとか、気にならなくなっていたというか、その事自体、思い浮かぶ事もありませんでした。
どうでもいいし、どうあってもいいし、何でもいいのだと思いました。
そうして、長女はわたしでもあるのだと気づきました。まさに鏡なのだと。
昨日は、自分の体たらくに、かなり波動も下がって重くなっているのを感じていたので、氏神様にお参りをしてきました。
通常モードに戻れるよう、ここは根気よくめげずに、律を意識して継続します。
今日の日を、ありがとうございます
お読み頂き、ありがとうございます。