みなさま、こんばんは

いつも、ありがとうございます


今日は片道2時間弱のお仕事の面接結果が、郵便で届きました。結果は不採用です。


この結果は予想していたので、何とも思わないはずなのに、「何だかどうでもよくなってきたな〜」という気持ちが出てきました。


またまた、ここに引きずられそうになりながら、これはまずいと思って、内側を観ていくと、この結果自体そのものに反応しているのではなく


何回も応募を続けているのに、思うような結果が得られないことに、諦めの気持ちが出ているのだと判明しました。


つまり、点ではなく、線で引きずっているということ。今ここではないということ。それに気づいたら、すっと一瞬で周りにあったものが消えた感覚になって


あ、そうか、今回は不採用なんだね、というような、ただそれだけというか、妙にすっきりした感じで、初めて応募して結果を知らされた様な感覚になっていました


いや、確かにこれまで数回、書類が届いた時点で断られたり、面接を受けて不採用になったりと、事実は事実として、そこにあるのですが


その瞬間は、意識が今回のそこにしかなかったというような感覚でした。


そうしたら、気持にフォーカスし続けることもなく、嵌っていた自分が観えました


そこにあったのは、「こんなに頑張っているのに…」という、お得意の自己憐憫でした。いつもの癖です。


この程度で、「こんなに」と思うのも、お恥ずかしい限りですが、この自己憐憫が、最近感じていた僻みや、社会から離脱しているような感覚を、生み出していたのかと思い至りました。


と言うことで、事実はただ単に「面接の結果が不採用だった」ということ。

そこに、諦めの方に向かう気持ちが生じたということ。


因みに、わたしは頑張り教の熱心な信者として生きてきましたが、諦めが早い所があり、それは小学校の時の担任の先生に言われていました。


そんなにすぐに諦めないで、もっと食らいついていくような気持ちが欲しいと。


↑これ、覚醒には大事な要素なんだということが、セッションのガイドさんからのご指導や助言から、教えられているところです。


そこまでする必要あるのか?と思うこともあるのですが、要は全力を尽くせていないということなんだと思います。


そうして、諦めるのは、嫌な思いをしたくないから、早々に舞台から降りるということ。


結局は「逃げ」なんだと再認識。


ほんと、これ要注意です。

そして、今の課題は律。


今日も、身体が痛くて、掃除はまたでいいやと思っていたのですが、痛くない日はないし、やる気を待っていたら、いつになるか分からないので、実行しました。


もう、ほんと、一つ一つが、自分との闘いですわ。


片付けをしていて、セッションの時にメモをした紙片が目に入りました。


「ブロックしてくる自我を超えていくしかない」

「気持ちより行動の方が強い」


ガイドさんからのお言葉です。



今日も一日、ありがとうございました

読んで頂き、ありがとうございます