みなさま、こんばんは。


6日間のひきこもり生活を経まして、漸く、復活の兆し。気力も出てまいりました。(有給休暇消化でお仕事お休み)


ひきこもり中は、ダラダラと怠惰を貪り、こんな生活いいはずないよなと思いながらも、楽でいいな〜と思う自分もいて、いよいよ、離脱コースか?とも思いましたが、何とか戻れて通常モード。


覚醒への道は、進んだかと思ったら、ずずずーっと戻ったり、足踏みしたり地団駄踏んだり立ち止まったり、道を外れて彷徨ったりと、なかなか最速とはいかないものだと実感。


さて、本来のブログの目的に沿います。


ベランダで洗濯物を干していた時、ハンガーに掛けた洋服を一枚、下に落としてしまいました。(落としました)


瞬間「あっ!やっちゃった」「まただよー」「あ〜もうっ」「リウマチのせいで握力落ちてるよな」「やばいよな」「どんどん老化現象だよ」「これからどうなっちゃうんだろう」と、ほんの数秒たらずのうちに、思考やら感情やらが巡りました。


自己否定とか、失敗した自分を許せないとか、今の自分を受け入れられていないとか、病気のせいにしたり、将来への不安とか心配とか等々、不要なものが散発です。


そうして、下に落ちた洗濯物を拾いながら「最近、毎回落としているよな」と思った瞬間、あれ?と過るものがありました。


洗濯物が落ちた。ただ、それだけだよなと。もちろん、自然に落ちたのではなく、私が落としたのですが、そこにあれこれと色々なものをくっつけているなと。


落ちた洗濯物が汚れていれば洗い直せばいいし、気にならなかったらそのまま干せばいい。それだけのことなのではないかな?と。


そして、リウマチのせいにしているのも、そうすることで自分は悪くないんだと思いたい。落としたのはリウマチのせいだ〜と、まるでお子ちゃまではないですか。


リウマチと自分を分離させているし、

リウマチである自分を受け入れていないから、自分でやったことの責任を取れないでいる。


洗濯物を落として「あーやっちゃった」なんてことは、普通に思うことだと思っていたし、当たり前のように思えるし、自分にとってあまりにも普通過ぎて気づかなかったのですが


こうしてみると、日常の中には気づけないたくさんのことがあって、かなり見過ごし見流していることが多々あるのではないかと思った次第です。


強く周波数が出ることは気づきやすいですが、日常を丁寧に観ていくと、この現実というものは、知らせてくれるサインで散りばめられているのかも知れません。


そう思えたら、やっぱりここにいようと思えます。(すぐ逃げようとするので)


自我りんは、瞬時に出張るし、前に立ちはだかるし、大暴れするし、壁は相当分厚くて、なんかもう無理なんじゃないかと思うことも少なくないのですが


まずはリスタートでコツコツと継続します。


それでは、みなさまごきげんよう。

お読み頂き、ありがとうございます。