前回のブログ記事を書いて


書いた直後は、すっきりした感があり


達成感のような、満足感があった




ところが、程なくしてやってきた想いは


「イイネ」が気になる!



。。。。。。




今さらですか?


ってな感じなんですが


何だかソワソワ落ち着かない



内を観ていくと、出てくる出てくる


様々な色々な想いの数々



そして最終的にたどり着いたのは


わたしは、この世に存在していいのだろうか?


…という、自己の存在の否定



その想いは、ずーんと身体が重くなって


涙が滲んでくる



その後


ある瞬間にふっと軽くなり



なんで「イイネ」が、そんなに気になっていたのかな~???


という心境になった




すると、次に浮上してきたのは


ある微かな違和感のようなもの



わたしは。。。


あの絵の先生と子どもたちの世界が


わたしの憧れの世界で


自分の望む世界だと書いたけど。。。



本当にそれがわたしの望む世界なんだろうか?


という自問が湧いてきた



。。。。。。



あ~、違うな。。。


と思った



あれは、私が得られなかった世界


味わいたかった世界



何を答えても、正解、不正解もなく


否定されることなく


一刀両断されず


一方的に押し付けられることもなく


猶予を与えてくれる、待ってくれる


そんなおとなの人の存在と


その想いの中で、安心して発言したり、表現できる子どもたちの姿



そんな世界が、キラキラ眩しくて


羨ましかったんだと思った


わたしには、無縁の世界だったから




望む世界というのとは、ちょっと違うのかもな~と


ぼんやりと思っていた矢先



またもや、ゆかさんの昨日のブログ記事で、目が覚めた


 




まさに、わたしだ~と思った



陰陽一対、表と裏があること


「創造主」という言葉の捉え違い


自分がどの観点から、その言葉を紡いでいるか


「現在地」を確認し「魂の羅針盤」との一致を確認すること



あ~、そうか、なるほど


そういう捉え方、観方をしていくのかと


そっちの方向なんだと


意識をそっちに向けるのかと





わたしは、迷子になっているんだと思った


すぐに現在地が分からなくなる


他人軸になったり、外に向いたり


本当に、気づかない内に


あっと言う間にそうなる



うかうかしていられない


油断はできない


そんなことを思い知らされる出来事が、先日にあったばかり



一山越えて、ほっとして、気が緩んで


ほっとしてもいいし、気が緩んでもいいけど


自分を忘れてはいけない


そう思った



くわばらくわばらの、ありがたや


お読みいただき、ありがとうございます