みなさま、こんばんは

いつも、ありがとうございます


突然、昔の事を思い出しました。

もう済んだことだと思っていたのですが。


それは、12年前、父が77歳の時に入院をした時のこと。わたしは毎日のように、仕事帰りに病室に顔を出していました。


父は、退院をしたら、今後のことを皆で話し合いたいので、私の弟たちも呼んで、自分の喜寿のお祝いも兼ねて、宴席を設けようと考えていると言っていました。


弟達とは全然会っていなかったし、連絡も取り合っていなかったので、わたしはその機会を楽しみにしていました。


その後、父が退院して、数ヶ月が過ぎましたが、何の連絡もなく、宴席の話はなくなったのかなと思っていました。


しばらくしてから、父の様子を見がてら、娘たちを連れて父宅へ出向いた時のこと。何かの話の流れで、喜寿の宴席の時は…みたいな話が出て、えっ?!と驚きました。


なんと既に宴席は開催されており、弟達は出席し、私だけ知らされていなかったのでした。とても驚き、ショックを受けました。


父は父の連れ合いに、「連絡をしなかったのか?」と問うと、父の連れ合いは、「したと思ったけど〜」「なかなか(私が)電話に出ないからー」と、とぼけた返事をしていました。


彼女のその言い方から、彼女は、私にわざと連絡をしなかったのだと確信しました。さすがの私もそこまで馬鹿ではない。彼女のやりそうな事だなと思いました。


内心は心穏やかではありませんでしたが、事を荒立てる事は避けたかったので、何も言わず黙ってその場をやり過ごし、もう済んだ事だと自分に言い聞かせ心に収めました。


そうして心に押し込めて蓋をしていた想いが、今、ここに出てきたのか、とてもリアル感があり、濃く強い怒りと許せない想いがあるのを感じました。


詳細は省きますが、彼女に対しては、この件だけではなく、それまでに積み重ねてきた、色々なものがありました。


この人のせいで、私達はどれだけ苦しんだか、小さい頃から苦労する母の姿を見てきたこともあり、彼女に対しては並々ならぬ恨みのようなものがありました。


長年のドロドロしたものが、血と共に流れ出るような痛みもありましたが、泣くにも泣けないような悔しさもありました。


表面では彼女と話を合わせて、上手く付き合っていましたが、実際は諸々の想いをまるで手離せておらず、偽りの自分でい続けていました。


そして、わたしは彼女を、心の底では除け者にしていたのだと気づきました。

彼女を家族の一員としては認めないという想いがあったのです。


確かに家族ではないし、家族という括りで認めなくてもいいのかも知れませんが、人間として軽蔑し、わたしの家族のフィールドから排除しようとしていたことにも思い至りました。


そして、彼女を除け者にしていた想いが、私だけ宴席を知らされずに除け者にされたという果として、還ってきたのかとも思いました。


また、父の退院後に、ただ彼女からの連絡を待つのではなく、こちらから電話をして聞いてみる事も出来たはずで、今思えば、自ら動こうとはせず、これも随分と依存的でした。


そして、波風立てないためにというのも保身でしかなく、ただ黙って自分が我慢するのではなく、相手を責めたり非難するのでもなく、何か伝えられた事もあったのではなかったかと思います。


そうしないと、結局、後から、僻んだり拗ねたり、どうせ私が我慢すればいいんだとか、貧乏くじを引けばいいんだとか、犠牲的精神、被害者意識となり、自分を苦しめ縛ることになります。



この彼女も数年前に亡くなりました。散骨をするのに、皆は行かないと言うので、私一人が港に行って見送りました。


それで、全てを精算して自分なりの区切りがつくと思っていたのですが、それは結局、三次元の型でしかなく、自分への思い込ませでしかなかったのです。


この件は、以前ノートに書いた記憶があるのですが、その時は吐露日記で終わっていたのかも知れません。


今更ながらですが、観察をしないと、堂々巡りで進まないんだなと、改めて思った次第です。


この件は、もう少し整理をして、引き続き観察をします。



最後まで、お読み頂きありがとうございます