だんだん認識が広まってきた
嶺岡豆腐(みねおかどうふ)
もっと詳しくお伝えします
まず 嶺岡(みねおか)とは鴨川市とと南房総市の境にある
嶺岡連峰のこと この一体は昔 嶺岡牧と言い 千葉県安房の国を治めていた
戦国武将 里見家の軍馬を育成していた所です
江戸時代 徳川天下になり この里見家の軍馬育成所は
徳川家に没収となりました 和田町上三原地区の集落
するす森地区は 名馬「するすも」と言う名馬を生み出したとのこと
今は「酪農の里」と言う観光施設があります
詳しくはこちら
http://bosotown.com/archives/2641
八代将軍吉宗(暴れん坊将軍)の時代になり 軍馬改良のため
インドから馬とともに白牛三頭を連れてきた
今 時代劇に出てくる馬はサラブレット種見たいにスマートで
早そうですが昔は 違うらしいとのこと
そして 馬と一緒に連れてきた 白牛から牛乳を取ったのが
日本の酪農の始まりと言われています
昔は牛乳が薬として扱われ大変貴重な物でした
あるとき 吉宗が視察に来ました
おそらく 趣味の鷹狩りのついでに見に来たと思います
なぜなら当店の裏山には鷹取山があり石碑があります
将軍は鷹狩りが好きだったらしい
(コレはあくまでも私の見解)
そして 吉宗が牛乳を見るなり 「豆腐が食べたい」と言いました
おそらく牛の乳から絞った牛乳を升(マス)に入れて見せると
白く四角く豆腐に似ていたんでしょ
昔はこんな山の中に 豆腐屋などなく
大名行列で来て 一緒に来た世話人や料理人が料理を作っていた
料理人が考えたのは この牛乳と山にあった葛と言うつる性の植物の
根っこから穫ったデンプン質 葛粉で固めた 豆腐らしき物
料理人は恐る恐る 吉宗に食べさせたところ 「うまい!」と言ってくれたそうだ
日本料理の世界では昔から 牛乳を使った料理 牛乳の事を 嶺岡と言いますけます
例えば 佃煮は東京の佃町で捕れた魚を長期保存するため 濃いめに味付けしたいわば保存食として
徳川家に 献上していたと言われ なので 地名の佃煮と名付けられています
後は イタリア料理でも ジェノベーゼはイタリア ジェノバ地方で生まれたソース
四川風 上海風 世界的に料理には地名が付きます
私が大阪の辻調理専門学校在学中 日本料理の授業で 講師の方が「牛乳のことを日本料理では
嶺岡と言います 嶺岡とは千葉の南の方にあるそうです」と言いました
当然 初めて聞きました
「おー先生 それウチの近く!」と思わず叫んでしまいましたが
先生が「お前 いつもうるさいから 黙って聞け」と怒られたのは 今の良い思い出です・・
おそらく 料理学校 同級生何百人のなかで嶺岡を知っているのは私だけだと思います
しかし なぜ 嶺岡有名にならなかったのでしょう・・・
おそらく 牛乳は牛乳、ミルクの方が分りやすいからでしょう・・・・(私の見解)
一部の日本料理店では嶺岡豆腐 スイーツとして出しているお店があります
だけど 作り手 食べた方 なぜ? 嶺岡豆腐って名前?
その理由を知る人も少ないと思われます・・・・・(たぶん)
そして 最大の理由は
私がまた嶺岡豆腐を復活させる定めだからです・・・(これは勝手な見解)
嶺岡豆腐どうしてつくられたのか?
おそらく 元の料理は福井県にある
精進料理で有名な永平寺の胡麻豆腐
吉宗に仕えた料理人はこの料理を知っていて作ったと思う
作り方はほぼ一緒 永平寺で修行したのか教わったのかは分らないが
大昔からの調理技術
似ているのが沖縄料理ジーマミー豆腐 落花生豆腐
私の見解だが 永平寺から南に伝わったのがジーマミー豆腐
東に伝わったのが嶺岡豆腐になったのだと思います
「おそらく」と言う言葉が多いのは あくまでも私が調べた見解
南房総の隠れた名品 新たな名物料理になれば良いと思い
世に広めよう 房総に来たら嶺岡豆腐を食べてもらおう
との思いです
次回 ブログでは作り方のご紹介
レシピもおしえちゃいます