7月31日に突然のてんかんのような発作で緊急搬送。

8月2日に退院しいつもの自宅介護に戻っていた義父。





9日の夜中に食べた物を全部嘔吐。


翌朝は何事も無かったかのように、いつもの義父。


お粥や果物のスムージーを普通に食べて、

椅子に座り尿を撒き散らしていた。


ただ珍しくシャックリが長い時間続いていた。


昼と夕飯も野菜と果物をミキサーでスムージーにして食べさせる。


ベッドで普通に寝ていたのだが、

夜8時過ぎにまた嘔吐。

熱も少しあるようだ。


カミさんがまた座らせると言い出す。


動かさない方が良いと言ったが聞かず、

起き上がらさせた途端、嘔吐。


カミさんが救急車を呼ぶという。


自分の見立てでは少し風邪気味で、薬が増えたため胃が荒れてるだけではないかと。

病院に行ったところでグルコースと抗生物質の投与だけになるだろうから、

高齢で体力が落ちてきているだけに、

このまま寝かせて安静にさせたほうが、

義父も病院で嫌な思いをしながら疲労するよりマシではと考える。


万が一衰弱して亡くなったとしても、

天寿を全うしたと言えるのではと思う。


カミさんに言っても拙いタイ語で表現が難しく、うまく伝わらない。


あまり反対して本当に亡くなりでもしたら恨まれそうなので結局救急車を呼ぶことに。


いつものスリン病院。



いつもの救急医療室に搬送。

やはり抗生物質が2種類追加される。



その後いつもの病棟へ。

今回は3階のSemiICU と書かれた部屋の、
前の廊下だ。

当直医の診断を受け、
グルコース点滴と酸素マスク。
しかし直ぐに外そうとするので左手を縛る。

更に尿道にカテーテル。
尿を垂れ流さず介護する側は楽ではある。

しかしこれも顔を激しく歪ませて嫌がる義父。
まあ見ていて哀れで可哀想としか言いようがない。


今回も病棟は動けない患者たちで一杯。
その殆どが義父より重症者。


うめき声と心電計等の器具のピーピー音でかなり騒々しい。
看護師が溜まった痰の吸引作業をしていると、
苦しさと痛さで全身を捩って抵抗してる様子が痛々しい。
そうしないと窒息するのだろうけど、
何とも言い難い。


翌日医者の指示で食事は駄目に。
口から管を入れ酸素吸入も出来るがどうするか聞かれ、義姉等と相談し流石のカミさんもそれは断る。

自分もベッドの横に置いてある検査記録表を見て確認したが、
体温は入院直後は38℃を超えていたが、
その後は37.5℃前後。
血圧は高めで155、90前後。
脈拍90。
まあこの年齢なら普通だろう。
血糖値は270前後で高い。
パルスオキシメーターによる動脈血酸素飽和度も99%以下になることは無いようなので、
酸素吸入の必要性は低いと思う。

義父は落ち着いてきたというより、
すっかり衰弱した様子。
縛っている左手の紐をほどこうとばかりしている。

夜はまた義姉が泊まり込み面倒を見る。

やはり自分が考えたように、
自宅のベッドでゆっくり寝かせたほうが、
死期は早まったとしても良かったのではと思う。
もう84歳でタイの平均寿命も過ぎ、
自分の意思で何も出来ない状態で延命させても
本人もつらいと思うのだが、、、。

まあ実子達の判断を優先するのは当然ではある。

義姉もカミさんも自分も、
長時間あの病院に居続けるのは相当疲れる。
洗濯や糞尿処理、食事の用意は自宅介護よりは楽ではあるけど。

自分は朝から病院に行っても見てるくらいしか出来ないので、今日から夕方に行くことに。

今回はどの程度入院するのか、
更に弱った状態で自宅介護に戻すのかは、
まだ不明である。