昨年2023年12月21日早朝に

我が家で5匹の子猫が生まれた。



自分にとって、目の前で新しい命が生まれたのは初めてでもあり、
どの子も愛おしい存在となった。
1月1日に義父が脳梗塞で倒れ、
我が家で介護することにならなければ、
このブログも彼らの成長日記で一杯になっていたことだろう。

5匹とも日に日に成長し10日後には目も開いた。


その中で1匹だけ様子の違う子が居た。
母猫から最後に出てきた子で、
まだ体毛も少なく濡れていた。

どうやら未熟児で産まれて来たようだった。

他の子と比べて身体も2回りほど小さい。
目も開いたもののいつも目ヤニで一杯で、
湿らせてから拭き取らないと開かなかった。

オッパイを飲むのもいつも最後になり他の子に押しやられてしまう。
この左から2番目の子。
他の子より小さいのがわかるだろうか。

もしかしたら長くは生きられないかもと思っていた。

そしてこの子は声が出なかった。
ニャーと言えない。
口を開けて空気を吐き出すような、
「エッエッ」という音しか出せなかった。

それでも兄弟達と同じように元気に育っていった。



その目はいつも潤んでいて、

ちょっとタレ目がかっている。

甘咬みと爪を引っ込めるのが下手くそで、
いつも血が出るほど痛かった。

体つきも前足が短く背中がいつも丸まっていて、
歩き方もヒョコヒョコしていた。

そんなこんだで、
兎に角ものすごく可愛かったのだ。

前回のブログで書いたように、
40℃超えがようやく下がった日。

兄弟の一匹が車に跳ねられ死んだ。
この子である。
とても苦しく悲しかった。

もっと気を付けなくてはと、
外へ出ると中へ連れ戻していた。

3日後だった。
多分朝方、彼も車に跳ねられ逝ってしまった。


夜中に羽アリが飛び回っていた。
それを追いかけて外に出たのかもしれない。

外に出られるように放置した飼い主が悪い。
その通りだ。
こうなる可能性はあるとわかっていたのだから。

今も自分の精神状態は狂ったままである。

もうどうでも良く投げやりにもなり、
何かしてないと正常を保てない。

これを書いているのが苦痛である。

更にだ、、、

彼が逝ってしまった翌日、
母猫が姿を消した。

もう4日も帰ってこない。
実はまたもや懐妊し、
産まれる寸前だったのに、、、。
もう理由がわからない。

苦しくて悲しくて寂しくて、、、。

でも自分にはまだ3匹の子猫、
2匹の前の子猫、
そしてクッキーが居る。

そして寝たきりの義父と、
カミさんが居る。

子供のように泣いてばかりではいられない。


だが歳を取るとともに、
何かを失った時の喪失感は、
とんでもなく増している。

生き続ける気力が、
切れないナイフで、
ガリガリと削られていく感覚だ。

書きたくない。
でも書かないと次に進めない。
書きたいことは山ほどある。

書いたって別に何かや誰かのためになるわけじゃない。

でもこの湧き上がる気持ちを書きとどめたいとは思う。
そして吐き出したいとも思う。

あぁ多分吐き出したいんだな。


前日の最後の写真。

悲しすぎて埋葬にも行けなかった。
泣き叫ぶのを見られたくなかったのもある。

ソンクラーンの時のカミさんとの2ショット。

そして俺との。

あぁ、書いても思いの数パーセントも書けてないのが、
また悔しい。