4日目に行く前にまだあった。
8月17日、銀行の手続きも無事終了し、
細々なことはまだあるが、大きなミッションは残り1つとなった。
昼下がりの新宿を気分良く歩く。
今日の3D三毛猫もゆっくり見れる。
穴に首を入れてるが、顔は実は右のアルタのモニターに出ていた。
気付くのが遅くて動画には写っていない😅
ポリス猫は何言ってるのか判らないところがまた可愛い。
このビルの下にはカフェがある。
ゆったりしてて、なかなかオシャレである。
猫が居るのかと入ったら、
猫ビルのカフェというだけで居なかった。
Tシャツやペンダント等のグッズが売っていたが、3000円以上から7000円と強気のお値段。
訪れたちうこく人のオバさん達が、
結構な量を買っていた。
今登場する三毛猫ちゃんの種類も貼ってあった。
カフェで初日に弟から受け取った年金受給申請書を書き込む。
既に大方は年金データに基き印刷されてたので、意外に簡単であった。
申請受付は誕生日の前日からである。
申請はどこの年金事務所でも可能とあったので、府中あたりにしようかと予約ページを見ると、なんと既に満杯。
他の事務所を調べると八王子で一枠だけ空いていたのですぐ予約。
まだ5日も前なのにこんなに混んでるとは。
早目に予約したほうが良いようだ。
これが終わればほぼ全てのミッションコンプリートだ。
続いて今夜の新宿での宿を検索。
調布で使ったネットカフェ、快活クラブもあったのだが、新宿は5000円超えでパック料金も無いようだ。
Trip.comでカプセルホテルを発見。
3241円と安かったので予約した。
ホテルの利点はチェックイン時間前でも荷物を預かってもらえること。
西新宿から大久保方面に歩いた所にある。
ちゃんとTrip.comからの予約も直前だったが届いており荷物を預けて外出だ。
先に宿泊の感想を書いてしまう。
スタッフも感じよく、カプセルベットもシャワー、トイレも清潔で新しい。
このホテル周辺は40年以上前から変わらず、半島系の人々が多い地域。
そのせいもあるのか宿泊客は自分以外外国人。
アラブ系の人も多かった。
当然ベット内は立ち上がることも出来ないので着替え等は通路。
だが狭いので他の客が通路を通るたびに避けないといけない。
そしてロッカーも狭い通路の端に縦長のが設置。
1人が出し入れしていると終わるまで待つことになる。
ロッカーに入らない大きなスーツケースとかは、通路に並べられ益々狭くなる。
残念ながらカプセルホテルは、この一泊だけで使うことはなかった。
さてお目当ての居酒屋が開くまでウロウロ。
10代後半から20代前半まで良く遊び回った懐かしい場所だ。
なにせアルタが二幸デパートだった時代から知っている。
跡地にアルタが出来たのが21歳の時だ。
当時のお店などは殆んど残ってないが、
街道や路地が移動したわけではないので、
そこかしこに思い出のカケラが転がっている。
学生時代金欠でカセットテープレコーダーを持ち込んだ質屋、たまに入った三平スーパー、東京に初めて豚骨ラーメンを広めた桂花ラーメン。
東口近辺で残っていたのはこれくらいか。
そうこうしているうちに夕方である。
向かったのは職安通りにある「樽一」。
ここは昔歌舞伎町ど真ん中のビルの5階にあった。
まだ駆け出しの社会人だった自分は、お金が入ると当時の彼女を誘ってここを訪れた。
その頃の自分には高級な居酒屋だったが、通うようになった理由はこの浦霞である。
横にあるのはホヤの塩辛。
今では全国に知れ渡る銘酒だが、
当時は東京でもここだけであった。
自分は高校時代が仙台であった。
その時に先輩と一緒に塩釜へ遊びに行き、
自販機で買って呑んだのが浦霞の二級酒ワンカップであった。
そのキレ味鋭い味に驚いたのを今でも覚えている。
その酒がたまたま入ったこの店にズラリと並んでいるのを見て感激してリピートするようになった。
そんな懐かしい店が移転して存在していることを、タイで暮らし始めてから、とあるサイトで知り、いつか再訪をと思っていたのだ。
鯨も当時からのメインメニュー。
当時の擦り切れた暖簾も飾ってあった。
当時からいらした店主らともお話することが出来て、楽しくも美味しい時間を過ごさせてもらうことが出来た。
滞在中にもう一度来たかったが叶わなかったな。
良い気分で酔い、歌舞伎町を徘徊。
混沌雑多な騒がしい感じは当時と変わらない。
トー横前、旧コマ劇前も、メイドやホストが並んでいるのは違うが、危うい怪しさは健在であった。
恥ずかしながら、先の樽一は当時の彼女にフラレた場所でもあった。
そんな若かりし頃の思い出に浸りながら、
ラブホ街や立ちんぼの居並ぶ公園を抜け、
ホテルに戻ったのである。
ようやく3日目が終了だぁ。