「気丈」ということを日本人は美徳とします。
今回、この未曾有の大災害に見舞われた現地の人々の
様子を見ていても、実に気丈で胸を打たれます。
しかしそんな人たちも、ひとたびマイクを向けられて話を
するうちに急に涙が込み上げてきて、「ごめんなさい・・・」と
その涙を必死にこらえようと頑張る様子を頻繁に見ます。
その姿を目にするたびに、みんな気を張って懸命に
頑張られているけれど、本当はやっぱり泣きたいのを
ただただ懸命にガマンされているのだなということが
ダイレクトに伝わってきて、気丈な姿に胸を打たれると
同時に、こちらも、こころが痛くなってしまいます。
この気丈であるということは確かに日本人の美徳ではあります。
が、セラピーという目から見れば、もっと泣いて欲しいと願わずにいられません。
こころに封じ込めた激情は、発散したときよりもより深いところまで浸食し、
癒すのがより難しい傷を残す可能性をはらんでいるからです。
もちろん、もしかしたらテレビに映らないところで泣いて
いらっしゃるのかもしれませんが・・・
同じことは直接的な被災を免れた私達も同じです。
現地の人があれほどの惨状の中で困っていらっしゃるのに、
自分ばかりがこんな普通に生活をしていてよいのだろうかという
罪悪感は誰もが多かれ少なかれ抱いているでしょう。
自分にできることはやっているけれども、
でも自分にはこれぐらいしかできないという
もどかしい無力感にも駆られているかもしれません。
そういう思いは自分が思っている以上に私達の心の
負担となって、こころに想像以上のストレスをかけています。
緊張緩和ということは大切です。
中には今こんな時、テレビで映画やドラマを見ているだけでも
不謹慎な気分に襲われてしまう方もいるかもしれませんが、
自分のこころを和らげてあげることは大事なことです。
罪悪感に襲われず、必要な用事を済ましたあとは、
ちょっとでも楽しめることがあるのでしたら楽しんで欲しいと思います。
覚技研究会 新海正彦