北島マヤならどう演じる?悲しみの柱時計! | 覚技ワーク~注意の行き届いた自然体★新海正彦

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$心のクセに気づくための覚技研究会主宰★新海正彦-船波園児が演じた!!~涙なしでは語れない“悲しみの柱時計”

もうそろそろ学園祭シーズンですね。
学園祭といえば、僕には一つ、苦い思い出があります。
それは他でもない、幼稚園のときの学芸会・・(涙)。

何の演目だったかは記憶にありませんが、皆けっこう派手な衣装を着てステージに並んでいました。
[Back Wave]Photo by Shinkai
た・だ・し、僕以外は・・・です!

というのも、僕に与えられた役は人間にあらず。
「柱時計」だったからです(怒)!
柱時計の僕は舞台の一番端っこに一人立ち、ただただ両手をまっすぐ伸ばして左右に振るというだけの演技を求められました。
立ち位置は不動(というか一歩も動いてはなりません。腕以外、身動きも禁止)。
セリフもなし(「チクタクチクタク、ボーンボーン」のような声を出すことすらなし)。
まさに機械的に無表情で腕を動かすだけ。
イワユル背景・・・ってやつ!?
そのうえ柱時計の着ぐるみもありませんでした。
素、で突っ立っているのです(涙)

舞台中央部では主役や他の皆が楽しそうにドラマを演じています。


本番当日、その光景を舞台端から眺めていた僕は、「腕を振り子のように振り続ける」という唯一の演技もそのうちやめてしまいました。
つまんないし、何より惨めでやる気がなくなったのだと思います。
自意識が強く芽生え始めるお年頃ですもんね。

するとそんな僕に追い討ちがかけられました。
惨めな気分でただ立っているだけの僕に、先生から驚異のダメ出し、イエローカードが出たのです!
本番中で父兄が客席から大勢見ている前であるにも関わらず、先生が舞台へ出てきて僕の後ろに立ち、僕の両手を押さえて無理やり振らせ始めたんです。
今ならありえないシチュエーションです。
もう新海少年にとっては泣きっ面に蜂。
ますます惨めだし、悲しい気分になって、一層ふてくされたのでした。


そのあと僕がどうしたのかは、今はもう記憶がありません。
嫌な思い出として「記憶のゴミ箱へ移動」してしまったのかな。
つまり、もう思い出したくないもんだから無意識のなかに押し込めてしまったのかも。


ただ今になって考えるのが、「今現在の自分だったらこんな時どうしただろうか?」ということです。

たとえば僕のやっているグループセラピーでは時々、ドラマをやることがあります。
小グループごとに分かれ、短時間で創作したドラマを創って演じるのです。
なぜこんなことをやるかというと、一つとして、ドラマの演技をすると短時間で自分のさまざまな側面が内奥から浮き出てきやすいからです。

とはいえ、演技を通して自分の内面に気づきやすくするにはちょっとしたコツがあります。
それは「やりきる」こと。
役にはまって、バカバカしくても恥ずかしくても照れずに本気でやってしまうことです。
するとふだん出会い難い自分の内面に触れることができ、大切な気づきを得られる可能性が高まります。

今そう考えて柱時計の役を演じるとすると、今の自分は果たしてどうするでしょうか?
きっと、「柱時計の役?上等です!面白いじゃないっすか!」と受けて立つでしょうね。
(やりたくない、って言うのもありですが、ここでは話に乗る方向でいきます)

で、どう演じるかをものすごく真剣に考えるはずです。
どんな動きがより時計らしく見え、また可笑しみが出るか?
あえて機械である時計の気持ちというものを考えてみるとどうなのか?
ステージ中央で繰り広げられるドラマに感情移入せず、ただ傍観者として眺め、時計として時を刻み続けると何が見えてくるのか?
そんなイメージにいろいろチャレンジすると思うのです。

だいたい、正確に腕を振り続けることって、どんどん変性意識(非日常的意識)に入っていく面白い装置かもしれない・・・これって、なんだかスーフィの「行」のようにも思えてきます。
時を刻み続けていく諸行無常の世界・・・。
とまあ、イメージ(妄想?)は果てなく広がっていきます。


とまあ、妄想ついでに、もしこれが『ガラスの仮面』の北島マヤだったら、柱時計を一体どう演じるのだろうか?
そして月影先生は、どんな演技指導をするのでしょうか?
「マヤ、何ですっ、その腕は! それで振り子のつもりですか! バシッ!!」
な~んてね(笑)。

ちなみに『ガラスの仮面』新刊が今月末に4年ぶりに発売ですと!
早く読みたい。