今日は『「日本」を読む会』に参加させて頂き、『邪馬台国論争』についてのお話をお聞きしました。
午前中の講義があり、昼食会ではさらに歴史について語り合い、終わったあとも日本の政治の歴史について議論が続き、18時くらいまで繰り広げられました。
「明智光秀の本能寺の変」「坂本龍馬暗殺」と共に日本の歴史の3大ミステリーの一つにもなっている卑弥呼のいた「邪馬台国がどこにあったのか?」という話は
九州説と畿内(大和)説とが明治時代から京都帝大と東京帝大に分かれて論争が繰り広げられていますが、九州説が有力のようです。
吉備(きび)説(岡山県)、出雲(いずも)説(島根県)、四国説(徳島県)、沖縄説などあちらこちらでも言われています。
九州説が有力な理由は佐賀県の吉野ヶ里遺跡の存在。『魏志倭人伝』の卑弥呼の「都するところ」のと一致した「居所、宮室、楼観、周囲を囲む厳重な城柵」があったとし、吉野ヶ里遺跡ではすべてが確認できたとしています。

いずれにしても歴史を探求していくことはあらゆる方向から真実を見つけだすことと同じで、
「なぜそうなのか?」「そもそも何のためにできたのか?」を考えていく機会にもなり、政治にも反映できると思っています。
今何をすべきか、日本の歴史を知ると答えが見つかることも多いです。
歴史を知って今を考える。
意識して行っていきたいと思います。