この世に生きとし生けるものには、必ず限りがある。
僕がまだ小学校に上がるかどうか、くらいの頃。玄関の靴箱の上に細木でできた鳥かごがあった。
十姉妹が飼われてた。何羽いたのかな。拙い記憶を探っても、あまり思い出せないけど、おそらく4~5羽くらいだったと思う。
当時大好きだった「おそ松くん」になぞらえて、名前を付けてたっけ。
「おそ松」「チョロ松」「一松」・・・あとはなんだったかな。
そう。「十四松」。他にも二人いたんだけど、もう思い出せないや。
母や父に言わせれば、「お前はなんで区別がつくの?」だったようだが、僕にも何故それが分かったのか、今は全く分からないww。
或る日の朝、一羽が天に召されていて。
僕は、泣いた。母に「動かないんだよ」って泣きじゃくって。散々困らせた。
数日の後に、母は近くにある今で言うペットショップに僕を連れて行ってくれた。
当時は今みたいに色々な種類の動物なんて、いない。
犬や猫はいたのかなあ。覚えがない。
そうそう。インコはいた。
思えば、僕はあの時十姉妹にしか目がいっていなかったんだろう。
何羽かいた中で、とっても気に入った子がいた。
大きな鳥かごの中から、店員さんがその子を出してくれた。
その時。
もう一羽飛び出して来た子がいた。
その子は、あっと言う間に飛び出して、外に飛んでいって、そして・・・
降り立った国道二十号線の車線で車に・・・
母は「見ないで!」と言って僕を抱きしめてくれたけど。
その子が天に召されたその瞬間を、僕は見てしまった。
酷いかもしれないけれど、車のタイヤがその子を轢いてしまった音まで。
今でも覚えている。
とっても微かで、あまりにもあっけない、どうしようもない、儚いその音。
でも。あいつは間違いなく自分の羽で飛んで、外の世界に出たんだ。
降り立ったその瞬間。
今までの囲われた世界から解き放たれたあいつは、その目に何を写したんだろう。
時が過ぎて、十姉妹が天寿を全うした後。
母はインコを何羽も飼った。
逝ってしまう度に、涙と鼻水を流しながら、「一緒に埋めてあげよう」と言っていた。
今で言う共働きというヤツで、母はとにかく僕に「ちゃんと餌と水だけはあげてね」と言った。
可愛がれるのは、休日だけだ。その他はほとんどかまってやれる時間なんて、なかった。
ただ。
どこかに飛んで行ってしまわないように、羽だけはとにかく気にして切っていた。
そんなに気にするなら、鳥なんて飼わなければいい。そんなコトを僕は母に言った。
どうせ、先に死んじゃうじゃないかって。悲しいだけじゃないかって。
そんな時、母は決まって何も言わず、ただ微笑んでいたっけ。
そんな母が亡くなって、もう34年。
それ以来、僕は一度も生き物を飼っていなかった。
先に死なれるのは、もう金輪際嫌だからだ。
息子が小学生の時、「ミドリガメ」を飼いたいと言った。
こいつは最初は可愛いが、大きくなるとアカミミガメと言って、結構な大きさになるし、しかもちゃんと育ててやれば結構長寿だ。尚且つ、こいつは人にあまり懐かない。
そういうコトを、こんこんと説いて、「お前が将来結婚しても、まだまだ生きてるんだぞ?その時カミさんを説き伏せて連れて行けるか?」などと、ワケのわからないコトまで言ったんだが、「ちゃんと連れて行く」という。
そこまで言われたら、仕方がない。子供の言うコトだから、最後は面倒見てやらにゃあいかんかな、と思いつつ飼うコトを決めた。
2匹飼ったんだけど、1匹は早いうちに亡くなってしまった。それが息子にはショックだったんだろう。
今、餌をあげるにも、体や水槽を洗ってやる時にも、いまだに懐かなくて「シャーシャー」威嚇するヤツに、ブツブツ言いながらもちゃんと向き合ってる。^ ^
僕は、もう二度と生き物は、飼わない。
先に逝かれるのが、嫌だからだ。
それはきっと、この先もずっと変わらない。
ただ。
可愛いと思える、その気持ちは、わかる。
だから。
思いっきり泣いて、思いっきり落ち込んで、思いっきり・・・
ばかやろう!って叫べばいい。
ありがとうって。言えばいい。^ ^
「おやすみ」 たなかゆり
やがてやって来る朝に涙止まらなくても、我慢しなくていいんだよ。って歌ってます。本気で思ってる。
泣きたいだけ泣いたらいい。
頑張れなかったら頑張れないって甘やかしてもいい。
それが生きることに繋がるんだったらそれでいい。
死んだように生きるなんて辛いでしょ。
生きよう。大切に。
たなかゆり
「水風音」 たなかゆり