寒かった今日と、どうしても考えてしまうこと | 自由気ままな一人語り たまに毒も吐きます

自由気ままな一人語り たまに毒も吐きます

2022年11月に乳がんが発覚しました。
手術を経て、今は、元気を回復すべく日常を送っています。
おっかなびっくり毎日を過ごしています。大好きなお酒を飲みながら。

今日の東京は寒かった。




仕事では、安定の汗びっしょりになったけれど、帰り、震えましたよ。

さむーガーンとね。




秋鮭のホイル焼きにしようかと思いながら、温まりたかったので、急きょラーメン。



もやしが買ってなかったので、キャベツを炒めて入れたんだけど、作りながら記憶がするする戻る訳で。






結婚していた頃、お義母さんが、私達(私と子供二人)の幼稚園の終わった後に、お義母さんの家に来るのを今か今かと待っていて、



昼ごはんがまだだろうと、ラーメンのつもりであらかじめキャベツを炒めてくれていた。



ラーメンを3人分作って、キャベツも乗せてアツアツを召し上がれ!と出すのに、下の子が機嫌を損ねていて、ギャンギャン泣いていて、お義母さんがあやしていて、私と上の子に「あんた達は温かいうちに食べちゃいなさいニコニコ!」と言ってくれていて。



幼稚園の年中と年少の子供達は(私の子供は年子)時々、こういう事があって、下の息子が幼稚園から帰って来た後にすごく荒れる事があって、私も手を焼いていた。



しばらく泣くとケロッとして、昼ごはんを食べ出すんだけど、原因が分からずどうしたものかと思っていた。







離婚間近の時に、主人が、子供達に「今日はどうやって過ごしたのニコニコ?幼稚園は楽しかった?お友達は爆笑?」と、下の子を膝に乗せて聞いているのを見た時に、ハッとなった。



私は、これが足りなかった。アセアセ



幼稚園の終わるのをお迎えに行っても、そう聞いてやる事をしていなかった。



子供達は、どれほど聞いて欲しかったろう…




というのは、私が親にそうされなかったからで、一度も「今日はどうだった?」と聞かれた事がなかったんだ。
言い訳だな…



だから、普通に聞かなかった訳なんだけど、それじゃダメだったんだな…



今になってみると、私は、子供達に寄り添って来なかった。



この歳になると、あれもか、これもかとわかるのに、どうしてあの頃は分からなかったんだろう…














千葉の女の子が遺体で見つかった。
あの南朝芽ちゃんかな、あの事件?事故?



親御さんの胸中を思うと、言葉がない。
あのさやちゃんと私の手放した上の子供が同い年で、あの頃のあの娘の事を想う訳で、



親というのは、暑かったろう…とか、痛かったろう…苦しかったろう…と、子供の最期の時を思い馳せて、その時にそばにいてやれなかった…と自分を責めるように思うから、このお母さんの気持ちを思うんだ。





神様は、乗り越えられない障害は与えないという言葉があるけど、じゃこの親御さんには乗り越えられると思われたんだろうか。



誰がこれほどの哀しみを乗り越えられるというんだろう…






私は、親御さんの事を想う。
どれほどの思いの2週間だったのか。






虐待を受ける子供達や、灼熱の中、車内に残された子供達、今回の事を思うと、もうこんな悲しい事は起きて欲しくないと思う。



もう涙がとまらないです。タラー



そして私は、手放したあの子達に謝りたいです。