そっちかい | Jesus Kiss

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イエス・キリストに惚れたある男性の日記のようなもの

ただ今深夜、お船は対馬に向かっております。

本日は発電所に石油をお届けいたしまする。
やや波 高し。でもまあ、帰りも航行は可能でありましょう。

さて、日付けが変わったので昨日ということになりまするが、あるささいなことを通してふと、気付かされまして、

ははぁ〜ん。
これが神様のやり方か…

…と、思ったことがあるのですよ。

積荷時間中、対岸の桟橋に、建造されてまだ数年の新しい船が入ってきて、やはり積荷しに来たんですよね。

その船には、うちの老齢航海士さんとわたくしの共通の知人であるかたの息子さんが乗っているんだという話しになって…

その方の親父さんはね、わたくしの故郷で船会社をやってた社長兼船長だったのですよ。
でもあれは30数年前になりまするが、会社経営をやめて、船も売り払って、自分は一船員として、引退するまで他社の雇われ船員をしておられた、そんなかただったのですよ。

で、老齢航海士さんがおっしゃった
「親父の船の名前何だったけかなぁ…」
わたくしの故郷の同業でしたから、わたくしもよく知っておったわけで、かの船も映像としては頭にすぐ思い浮かぶんですけども、名前がわたくしもトンと思い出せない…。

「はぁ忘れてしもうた、わっはっは。」で、航海士さんはその話しを打ち切ったんですけども

けどもふとその時

「祈ったら教えてあげるよ」
と神様に言われたような「気がした」んですよ。
ええ、そんな「気がした」だけなんですけどもね。

航海士さんは思い出すのをやめたんですが、わたくしは

ああ、そうか、そうだな、祈ってみよ…。
と思って、思い出すのを諦めないで、神様に心で聞き耳を立てながら祈り続けてたんですよ。
きっと思い出させてくれるに違いない、という確信に近いようなものもあったのでね。

数分後、ほんと間もなく、すでに違う話題に移ってたんですが老齢航海士さんが突然言うんですよ。
「あ、思い出した、〇〇丸じゃ。思い出そうともしょうらんし、違うことを考えよったのに、ポッと思いだしたわ。」

そうだわ、そうだわ!

先に言われて悔しいような、思い出すことができてスッキリしたような…。

それと同時に、熱心に祈っていたわたくしは思いましたね。

えっ? えぇっっ?
こっちじゃなくて、そっち?

わたくしが祈ってたわけですからね、てっきりわたくしに啓示的に超自然に思い出させてくれると思うじゃないですか!?

未信者の、それも他のことを考えてた人に思い出させるの???

なんだか、イエス様にドヤ顔でニンマリされているような気持ちになって、笑いが込み上げてまいりました。

「あなたに思い出させたら、あなたは自分の手柄にしてしまうだろう…?」

そんなふうに言われてる気持ちも込み上げてきましたね。

ああ、もっともだ。
多分、わたくしが先に気づいたら、「こんな事がありました!神様に祈りが答えられました!あなたもこんな風にすべきです!」って、自慢げにブログに書いてたかもな(笑)

ま、思いもしてなかった形に変化して、結局アップしてんですけどもね。

祈りの答えは、必ずしも、祈った自分を通すばかりとは限らない。

学ばされましたね…。

でも、老齢航海士さんも、わたくしも、ついに思い出せて、みんなご一緒にスッキリ満足お喜び。


もし、わたくしの祈りが、わたくし自身でなく、他の誰かに気づきを与えるなら…、それはそれでステキなことではないか。
一緒に喜ぼう。

わたくしの願いと祈りにより、わたくしではなく他の誰かが活躍して輝く機会が得られるとしても、それもそれでステキなことではないか。
一緒に喜べる人でいよう。

キリストのからだ意識って、こういうことなんだろな…。

とにかく、祈りをやめては、いけないな。