公式サイト:http://www.tbs.co.jp/ryuseinokizuna/



ドラマは原作よりも脚本の比重が大きい事を改めて実感させられる。


原作東野圭吾

脚本クドカン


映画「容疑者xの献身」で東野氏は「これはまさに容疑者xの献身の世界」と述べているが、ドラマ「流星の絆」では原作者なのに「今後どうなるのか楽しみ」と述べている。


つまり東野氏は製作者の意図をよくわかっている。「容疑者x~」は原作になるべく忠実に。この「流星の絆」はTVドラマとしての面白さをクドカンを起用する事により存分に引き出そうというものだ。


原作のファン、もしくは私のように東野作品のファンはそこのところが割り切れてなければ、このドラマにかなり失望する事になる。まだ1話が放送されたばかりだが、原作ファンはもう観る事をやめたという人も少なくない。


まだ原作を読んでない私でさえ、「これは東野世界じゃない」と思った。コアな東野ファンは「原作に対する冒涜だ」とまで言っている。


原作を好きだからこそ、あのようなチープな(といえば語弊があるかもしれないが)作りが許せないのだろう。


今後、回が増えるにつれ、シリアス要素は高まっていくと思うけど、私にもなぜあのような笑い(笑えないが)がこのドラマに必要なのか甚だ疑問だ。


他局の「ガリレオ」が原作にないコミカルさを入れて成功したことが影響してるのではないか。なんか、詐欺まがいな話を1話完結で取り入れて、伏線のように両親の事件を小出しにしている作りもいかにもな感じ。

「ケイゾク」のつくりに多少似ているのか。


だが、1話完結の「ガリレオ」と復讐というテーマが根底にある「流星の絆」ではどうしても作品の重さが違ってくる。

なのに「ガリレオ」よりもぶっとんだ作りだった第1話。クドカンだから。で片付けても良いのだろうか。


このドラマに東野イズムを求めるのは間違いだ。なのにああも番宣で「原作東野圭吾」を謳ったのにはあきらかに視聴率稼ぎのため。あの作りであれば、「脚本クドカン」を猛烈にアピールすべきだ。


一応私は続けて観ることにします。原作読んでないし、東野作品として捉えず、クドカン作品として観ればまだ面白いと思える可能性がなきにしもあらず。だから。