パワーハラスメントが起きたのは経営陣の怠慢

 その怠慢のせいでハラスメントが悪い事だと分からなかった、知らなかった幹部上級生4人、それ以外の上級生3人と演出家1人と2人の宙組プロデューサーがパワハラ行為をした事を劇団が認めて謝罪した。
 
 この太字の内容が肝心な所なのに、なぜか劇団を擁護する人達の多くは「パワハラ行為をした事」を頑なに認めません。パワハラが起きたのは経営陣の怠慢ですが、そのパワハラ行為をした人物ははっきり確認できるだけでも10人もいるのです。なぜ、この10人の存在を消して、経営陣の怠慢がパワハラという結論になるのか意味が分かりません。さらには、劇団がパワハラをした10人の加害者を「パワハラ行為者」という言葉で表現したために、加害者がいないという擁護派まで出てしまいました。
 
 劇団の経営の怠慢だけが理由で劇団が謝罪したのならそれで終わりのはずなのに、何故その後にパワハラ行為者10人の内7人がそれぞれに謝罪文を遺族に書いて渡したのでしょうか。実際に故人にパワハラをして、故人を死に追い詰めたと7人が認めたからこそ、謝罪文を出したのではないのですか。
 
 7人の謝罪文を受け取った事を遺族側は答えているのに、劇団擁護派の中には謝罪文の受け取りを遺族が拒否しているという事実と反することまでXでポストしている人達も出てきて、彼らはちゃんと劇団と遺族側弁護士の会見を見ていないのか、宝塚歌劇団HPで公表されている合意書を読んでいないのかと不思議でなりません。
 

薬だと思っていたのが毒だった

 物理的に肉体を傷つけて殺していないから殺人ではないと言い逃れていますが、精神的に人を言葉や威圧する態度で追い詰めて死に至らしめたのは、直接に手を下すことなく人を殺したのも同じ。威嚇する言葉や態度、嫌味な言葉の「毒」で故人を殺したようなもの。
 
 自分達のハラスメントが人を死に追いやる「毒」だったと気づいたら、なんてことをしてしまったんだろう、「薬」だとおもっていたものが「毒」だったなんて!と良心の呵責に苛まれ、人前に顔を出すことが出来なくなる、ましてや舞台に立つなんてって、通常の神経の持ち主なら思うものですが……、どうやら、Xでポストされている一部OGや劇団擁護派の方達の言葉を見ていると、宝塚歌劇団とその一部ファン界隈の神経は、私が思っている通常の神経とは違う神経と常識をお持ちなんだなって思いました。
 

平行線

 亡くなられた有愛さんがどうして亡くなったのか。それは経営陣の怠慢とそれによりパワハラ行為をして有愛さんを追い詰めた人間が10人もいたから。その内7人は自分達がした事を認めて遺族に謝罪文を書いて渡し、それを遺族が受け入れた。
 
 パワハラが有愛さんを追い詰めた事を劇団もパワハラ行為者も認めて合意した事実の肝心な部分をなかった事にして擁護する人達は、今まで何を見てきたのだろう、同じものを見てきて肝心な所をなかった事にしている、理解出来ていないのなら、もう言葉が通じない。どこまでも理解し合えないのだと絶望しています。
 
 劇団擁護派の人達から見たら、私の受け止め方が間違っている!とお怒りになるのでしょうけれども。
 

同じ事が起きる

 何が悪かったのか、何が原因で、尊い有愛さんの命が失われたか分からなければ、同じ悲劇は再び繰り返されます。それは、宙組に限らず、他組でも、演出家や宝塚のオーケストラ、衣装部等の裏方の中でも、どうしてパワハラが起きてしまったのか。それは経営陣の怠慢でパワハラがいけない事だと教えていなかったからだけではないと思います。
 
 パワハラがいけない事だというのは今の時代では誰もが分かっている事。ただし、どういったものがパワハラになるのか分かっていない。それは明らかに「パワハラ行為」なものを「適切な指導範囲」と報告した最初の大江橋法律事務所の報告書が証明しています。
 
 これまで伝統的に行われていた指導、慣習がパワハラ行為だった。特に上級生が次々と下級生を叱責するという「下げ」は、複数いる上級生から同じ叱責を1人の責任者である下級生に集中して行う事になり、それを受け止める下級生に多大な心理的負荷を与える事になります。過去記事からの繰り返しになりますが、1人の攻撃が弱くても、数が増えたら大きなダメージになります。
 
何人もの攻撃を1人で受けていては、1人の攻撃が弱くても、数が増えたら大きなダメージになってしまうという事。下級生の男役や同期娘役のサポートがあったとしても、長の期の責任者として、上級生からの叱責(パワハラ)を受け止めたのが有愛さんだけだったという事は忘れてはいけないと思います。それを忘れない事で、次の悲劇を防ぐことになるからです。

責任の所在を明確にして問題に向き合う

 宝塚歌劇団はパワハラ行為者を甘やかし、何も処分をすることなく、問題の本質に向き合うことなく、一応認めて謝った(3人だけは認めてもいないし謝罪もしていないけど)、だからもう万事解決。遺族側とも合意をしたし金も払ったしって思っているかもしれませんが、パワハラが死に大きく関与したことを認めた割には、それを防ぐ対策をすることなく、パワハラをした者を処分していないのは、同じ過ちを繰り返す気満々なんだなって思ってしまいます。
 
 年間スケジュールを見直すだけでは足りないって思います。一人一人の心の負担をどれだけ軽く出来るか、また、やらなくても良い仕事、有愛さんがやらされた演出家の仕事を押し付けられていないか等の有愛さんの負担になった事を、書き出してみて、それを廃止したり、改善したりする取り組みから始めてみたらって、私は思うんですけれどね。その方が具体的で取り組みやすい課題になるんじゃないかなって。
 
 後はパワハラ行為者に関しても、いい大人達なのだから庇うことなく、公にして謝罪して欲しいぐらいです。それで彼らのプライドが傷ついたとしても、それだけの恥ずべき行為をしたんだと身に染みて分からせないと、また、同じ過ちを繰り返して、宝塚歌劇団の名前に泥を塗り続けていくと私なんかは思います。
 
 悪かったのはパワハラ行為を悪いと教えてこなかった私達経営陣が悪くて、パワハラ行為者は悪くありません。彼らに悪意はなかったんですって言われても、赤ちゃんでもあるまいにって思いました。問題の本質に向き合わず、パワハラ行為者を隠す事で同じ過ちをする恐れを抱えて、何事もなかったように宙組を再開する宝塚歌劇団の今後には心配と不安しかありません。
 

隠して庇う事だけが守る事じゃない

 故人の名前も、いつ退団扱いにしたかも明らかにせず、故人のファンが追悼する場所も機会も設けることなく、なかった存在として扱い、生きているパワハラ行為者が二度と同じ過ちを繰り返さないように、どれだけの事をしたのか反省させる事もなく、世間から隠している劇団は、「悪かったのは私達です!」と言いながら、亡くなった方も今生きている方達もちっとも守っていないんだなって感じました。
 
 宝塚歌劇団とその擁護派の方々には分かってもらえない事ですが、庇うだけが「守る」事ではないと思います。