前回に続き「孤独の旅」と称して日本国内の
各地をお出掛けした様子を紹介。
今回は2日目の夕方ごろ、佐賀市内にある
「佐賀城」を訪問し、その後は市内に宿泊。
佐賀市内の観光と、佐賀県内の宿泊はこれが初めてです。
「前半のハイライト」となる展開と思い、
画像多数となりました。(35枚)
どうか、心してご覧ください。
「佐賀城」を訪問
佐賀市内にやって来たよ
九州の県庁所在地の中では、一番静かな街と思いました。
佐賀城公園の入口にそびえ立つ「鍋島直正公の像」
江戸時代末期の大名で、佐賀藩10代藩主。
藩政改革により財政の改善や、「反射炉」などの科学技術の導入と展開を実施するなどの功績を残した名君。
蒸気船や西洋式帆船の基地として設置した「三重津海軍所」は2015年、世界遺産になりました。
「鯱の門(しゃちのもん)」より入城しましょう。
直正の時代、1838(天保9)年当時の姿を残しています。
屋外に「アームストロング砲」の展示がありました。
これも「反射炉」による「鉄の精錬」の技術が
活かされているのでした。
2004年(平成16年)に復元された、
本丸御殿を訪問しましょう
明治初期に起きた「佐賀の乱」で
焼失した建物が復元されているのでした。
現在は「佐賀城本丸歴史館」という名前。
入館は何と無料なのでした。
こちらにも「アームストロング砲」
その横には「風鈴」が吊るされていて
「チリンチリン」と涼しげな音色を出していました。
もっとも「風鈴の音色」で涼しさを感じるのは
「日本人だけ」なのだそうです
本丸御殿の御座敷では丁度「佐賀の八賢人」という寸劇が始まったところでした。
演者と観客席との間は、透明なシートで仕切られています。
寸劇は毎週日曜日に実施しているそうで、ラッキーでした~
小生はここで、しばし観劇。
今回は「さがんもん」という題目で
「佐賀の乱」の指導者たちの葛藤を描く物語。
左は「島義勇(しまよしたけ)」、
「北海道開拓の父」と呼ばれ、
寸劇では「札幌の基礎を築いた人」と紹介されていました。
北海道出身の小生としては、忘れてはいけない人ですね。
右は「江藤新平(えとうしんぺい)」、
明治時代初期の政府要人として活躍。
寸劇では「KYキャラ」として扱われていました。
2人は不本意ながらも「佐賀の乱」のリーダーとなり、
最後は戦いに敗れ、捕われて刑死してしまいます。
江藤は司法制度の整備に携わりましたが、
皮肉にもその新法で自らが罰されてしまったのでした。
因みにこの寸劇、新型コ○ナの影響で活動資金が思うように集まらず、
今年10月以降の活動計画が決まっていないそうです。
是非とも継続して欲しいですね~
その後は、本丸御殿の内部を見て回りました。
本丸御殿の模型。
当時の「本丸御殿」の写真。
現在の建物が、ソックリに作られていることが分かります。
掛け軸などの展示をまとめて紹介。
「御座の間」は藩主・鍋島直正の居室でした。
「おや隣の座布団が空いているぞ」
一緒に撮影してみた。
チョットお疲れ顔の小生でしたので、にこやかに加工。
本丸御殿を一通り見終わって、今度は屋外を散策。
天守の入口を見つけたよ。
天守は江戸時代の1611年(慶長16年)に完成しましたが、
1726年(享保11年)の大火により焼失。
以後、再建されませんでした。
天守台の上から4方向を撮影。
佐賀城の内部をくまなく見て歩くことが出来ました。
佐賀牛のレストランを訪問
次に夕食を頂きましょう
今回の訪問「佐賀牛レストラン季楽(きら)」
小生が訪問する場所には珍しく、高級感あふれるお店。
何となく「一杯やりたい気分」でしたが、、、
この後、車でホテルまで移動しなければいけないので、
「ノンアルコールビール」で気分だけ味わいます。
最初に「前菜4種類」が到着。
その後は「蓋物」がやって来ました。
そしてこれが本日のメイン
「佐賀牛のカットステーキ(ヒレ&ロース)」
自分で焼いて頂くスタイルなのでした。
早速頂きましょう
「ヒレ」と「ロース」の両方とも、
言わずもがな。美味しいですね~
食後のデザート。
最後まで美味しく頂けました。
佐賀市内の宿泊ホテルにて、、、
佐賀県内に宿泊するのは今回が初めて。
今夜の宿泊ホテルは結婚式場に使われそうな外観。
やはりそのようです
さてホテルのフロントにて、予想外の指摘がありました。
小生の右手で体温測定して貰ったところ、
「体温が高いですよ」
小生は「ドキッ」としながらも、咄嗟に
「いつも体温測定している、おでこを測って下さい」
とリクエストしました。
結局、おでこを再測定してもらった結果、
宿泊を認められたのでした。
この日の朝の体温測定は「36.7℃」でしたが、
夕方になって更に上がったようです。
「これから先、旅を続けられるのだろうか」
この時はそんな不安がよぎったのでした。
宿泊ホテルの窓から見た、佐賀市内の夕焼け。
明日の朝はいつもより早めの出発を予定していましたが、
不安の中で2日目の夜を過ごしたのでした。