いつも「カッキーは全国を旅する」ブログを
ご覧くださいましてありがとうございます。![]()
今回より2025年の年末を過ごした出来事を紹介します。![]()
初回は東京都内にて「麺活」したその後、
歴史の舞台を巡り歩きました。
「歴史の舞台」の中には年末にふさわしい場所
もありましたので、ぜひともご覧くださいね。![]()
東京墨田区にて「麺活」
年末年始休暇の初日は東京都内で過ごしました。![]()

都営地下鉄・森下駅で下車。
駅の所在は江東区ですが、ここから徒歩6分で
お隣の墨田区にあるラーメン屋さんに向かいました。![]()
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「手打ち 蓮(はす)」
2022年12月にオープン。

自家製手打ち麺と国産の厳選素材を使用した
ラーメンを提供する人気店です。![]()
「おおっ
」![]()

「スタッフによる間借り営業」という板書を見付けた。
お店の休業日を有効活用していますね![]()

感心していたところで
「しお チャーシュー麺」が着丼。![]()

澄んだ色の塩味スープは
「いくらでも頂けそうな感じ
」![]()

手打ちの中太麺はモチモチしていて
「美味しいですね~
」![]()

チャーシューや味玉子などの具も美味しかったです。![]()

美味しく頂けました。![]()
リピート訪問確定ですね![]()
歴史の舞台を巡り歩く
美味しいラーメンを頂いた後は、
付近を散策しましょう。![]()
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これは首都高速7号小松川線、1971年(昭和46年)開通。
東京の下町を流れる歴史ある竪川など運河の上を通っており、
高速道路と川が共存する独特の景観を作り出しています。![]()
お次が「年末にふさわしい場所」です。![]()

「吉良邸跡(本所松坂町公園)」
1702年(元禄15年)12月14日深夜、
赤穂浪士により吉良義央ら二十余人が討たれた
「吉良邸討ち入り」の歴史の舞台なのでした。

「吉良上野介義央像」
愛知県の華厳寺に現存する寄木作りの
木造を参考に作られました。

左:松の廊下の刃傷事件。
右:赤穂浪士の討ち入り。
2つを合わせて「赤穂事件」といいます。
・・・事件の現場は兵庫県の赤穂ではなく、
どちらも江戸なんですけどね。![]()

「みしるし洗いの井戸」
吉良のクビをここから9.2km先にある泉岳寺まで運んで、
かつてのお殿様・浅野内匠頭の墓前に供えたのでした。![]()

左:吉良邸正門より、赤穂藩士・大石内蔵助ほか23名が侵入。
右:吉良邸裏門より、大石主税ほか24名が侵入、吉良邸の寝込みを襲いました。
さて、お次の場所は・・・![]()

「江東義塾跡」
夏目漱石がここで約一年間教師をしていました。
大学予備門で学ぶかたわら、とのことで
「教師 兼 学生」だったのですね![]()

「回向院」
1657年(明暦3年)の明暦大火で10万人以上の犠牲者が出ました。
身元不明の遺体をここに「無縁塚」を築いて供養しました。![]()

隅田川にかかる「両国橋」

橋のたもとに、赤穂浪士の一人・大高源五郎の
辞世の句碑がありました。

「両国橋」からの景色。
首都高速6号向島線と7号小松川線が
合流するジャンクションが見えました。

橋の欄干には、なぜかサンダル片方だけ。![]()
持ち主はどこに行ったのかな・・・![]()

ここは「浅草橋」
中央区と台東区の境目です。

川の上には屋形船が多数浮かんでいたね。![]()

ここに「浅草見附跡」の碑が
ひっそりと建っていました。![]()
ここにも江戸城の番所があったのでした。

「出土した江戸時代の石垣」
ここにはかつて浅草橋御門と呼ばれる城門があり、
伊豆半島辺りから運ばれてきた安山岩質の石です。

「天然鯛焼き」というのが気になった。
何が「天然
」
今回はお腹がいっぱいだけど、次の機会に食べてみたいね。![]()

気が付くと、江東区→墨田区→中央区→台東区を
横断する散策になっていました。![]()
次回より北海道に帰省した様子を紹介します。![]()
【おまけ記事】朝の富士山

昨日朝の富士山。(朝寝坊のあとに撮影
)

本日朝の富士山、朝焼けで真っ赤だったよ。![]()
今日から24節季の「小寒」
一段と寒くなる日々が続きそうです。![]()
