東京駅前の丸ビルで
ディズニー映画《Wish》のコラボ・ツリーを見たが。
最初にストーリーを聞いた時、
「それはチャイコフスキー(実は女性不信の幼児性愛者)のナッツクラッカー(クルミ割り人形)そのものじゃないか」と批判せざるを得なかった。
 


要するにロリコン・サクセスストーリーなのだ。
そんなことを思い出す。
で関連グッズを販売していたが、
どれもヒドい品物で、全然買う気が起きない。
《Wish》はディズニーなりのメッセージがあるんだという。
白人の物語ではなく、有色人種が主役。
ハワイ王族の始祖を思わせたモアナ。
貴族ではないが、親の剣を伝承したムーラン。
彼女たちとはちがう。

今度は普通の女の子がヒロイン。
なんだコレ。
セクシーとかルッキズムを除き去ると、こういうデザインになるんだと。
ディズニーは人種代表や圧力団体のうるさ型を内部に取り込みすぎた。

悪しきポリコレ(Political Correctness)に立つと悪趣味や面白くないものが「正しい」からいいのだと相手に価値観の強要を迫るものになる。
何だろうな。
「コレ誰が買うって考えたのか」とビシッと正論を申し上げた。
普通の女の子が悪魔を倒し、世界を救うという発想は、あのグレタ・トゥンベリそのもの。
彼女の不機嫌なキャラクターがディズニーの主役になったのが、この作品というわけだ。

これに対する敵役のキャラクターはWISH、インクレ、ダンボとも共通している。



1) 権力者・ビジネスマン・シャイロックのような強烈な強欲。

2) 自分自身が夢を追い求める自演キャラクターを大衆を信じ込ませる。偽りのカリスマ性。

3) 内心は他を卑下する選民ユダヤ系の孤高。

つまり、すべてボブ・アイガーCEOのマンガ化だ。

 

この商品など、11,000円もするのに、クリスタルが欠けている。
担当者がぶったるんでいることは検品の穴が証明しているわけ。
そもそもなんだコレ。

任天堂のパクパクリーじゃないか。
恥ずかしくないのかねパクリ星。
ディズニーのアイデアは枯渇したのか。
パクリの誘惑に流れたのか。

妖精をティンカーベルのようにキャラクターにすると、また10人くらい多種多様な人種代表を出さねばならないと担当者を追い詰めた結果がパクり。
同じ結論が似たキャラクター設定を決めたわけだ。

それはデジタル全体主義の発想だ。
 


手が出せなくなったもの

 

 

 

 

 

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