
◆何よりTDLをつくろうとしたきっかけは千葉県八千代市にある「京成バラ園」に植えるバラの新種を買いに当時の京成電鉄社長だった川﨑千春さんが渡米したことです。
昭和30年の初めです。
(同年7月17日にアナハイム・ディズニーランド開園)
その帰りに米国のディズニーランドに立ち寄り、「これは素晴らしい」と。
それでこのディズニーランドを日本に持ってきて、日本の子どもたちに見せてあげたいと考えたのです。
当時の三井不動産の社長は江戸英雄さんでした。
川﨑さんと江戸さんの2人は旧制・水戸高校の出身というつながりもあったのです。
江戸さんが川﨑さんに髙橋さんを紹介し、OLCの礎がスタートしました。

◆今でも覚えているのが、1970年代に髙橋さんと台湾に行ったときです。
台湾の方々は髙橋さんが台湾総督を務めた方の息子だと知って大歓迎してくれましたからね。
しかも、行く先々の大半の駅では地元の駅長と警察署長が髙橋さんを出迎えに来ていましたからね。
◆髙橋さんは会社のために自分の財産を投げ打ってまで舞浜埋め立てのための漁民との交渉費用などを工面していました。
私の記憶では自身が所蔵していた絵画や骨董などを担保に入れてお金を借りていましたね。
それで都心にあった自分の自宅も売り払いました。
ですから、髙橋さんの財産がなければ今の当社はなかったと思います。
◆会社設立から20年間、当社には何もありませんでした。
そんなときでも興銀副頭取(当時)の菅谷隆介さんが力を貸してくれました。
私自身も可愛がっていただき、ご自宅の新築祝いのときもお招きいただきました。
私と菅谷さんは交換を通さず直通でお互いに電話し合える間柄でした。
そして、当社がTDLをつくるときに銀行の協調融資団をつくろうということになりました。
その際、その説明会をどこでやろうかとなったのです。
すると、興銀元頭取だった中山素平さんが「この興銀の会議室でやれば信用は絶大だよ」とおっしゃってくださったのです。
実際、各銀行を興銀の会議室に集めていただきました。これは大きかったですね。
◆今から40年前にTDLがオープンしたときは3年で潰れると言われたりもしました。
3年経ったら、この土地にある施設を全て壊して、土地を分譲するのではないかとも言われましたからね。
冗談じゃないと。
これだけのお金を使ってつくり上げたのに、潰してしまったら何のためにやってきたのか分からない。
どんなことがあっても成功させるんだと燃えましたね。
◆やはり私どもの事業は常に進化していかないと、潰れてしまいます。
進化する方法は何か。
その方法さえ間違わなければ、企業として存続していくことができると思うのです。
常に新しいものにチャレンジしていくと。ですから、ウォルト・ディズニーの「永遠に完成しない」という考えを大事にしています。
◆当社の事業はサービス業ですから、最後は「人」なのです。
ですから、私は社員にはゲストにお喜びいただくためには、まずは自分が喜びましょうと。
そうしないとゲストは喜んでくれませんと言い続けています。
自分が楽しむことでゲストにも楽しんでいただけます。
以心伝心で伝わっていくのです。
これからもゲストと従業員の笑顔をつくり、夢を与え続けていくことが当社の役割だと思っています。
