限定のFAUCHON紅茶飴を求めて日本橋の榮太樓總本鋪(本舗ではない)へ。

榮太樓の歴史も古い。
文政元年(1818)、最初は埼玉県飯能市出身の創業者・細田安兵衛が故郷の小豆餡を金鍔に仕立て、日本橋の周辺で細々と露天商をしていたそうだ。
だから榮太樓は京風(四角の金鍔)ではなく、丸型の金鍔の創始者でもある。

榮太樓は安兵衛の幼名「栄太郎」から。
この絵では商標問題(他店のブランド侵害なきよう)配慮があるが、露天商の時期には「井筒屋」といっていたそうだ。

日本橋本店はイートインもできるカフェがあって、これは昭和22年、戦後復興の中で開店した。
つまり、もうすぐ90周年ということ。



ウォルト・ディズニーさんのワンマンズ・ドリームもそうだが。
日本橋の老舗、東京ど真ん中の榮太樓本舗が、埼玉出身の道端の露天商の創業時を誇りにしているのが素晴らしい。
ついでにいうと、FAUCHONの創始者もパリの市場で立ち売りをする行商人だったそうだ。
1880年、ノルマンディー半島カルヴァドス出身のオーギュスト・フォション(Auguste Félix Fauchon)がパリ8区のマドレーヌ寺院前広場マドレーヌ広場
の市場で青果を立ち売りする露店を開業。
それが1886年、パリ革命のドサクサ(パリ・コミューン鎮圧後、多くの市民が追放された)で空き家が増えたタイミングで有名な食料品店に成長した。
これも有名な話だが。
三越の隣り、日本橋千疋屋総本店も天保5年(1834)、埼玉県千疋村(現在の越谷レイクタウン)出身の行商人・大島弁蔵が創始者だ。
元治元年(1864)二代目文蔵が徳川家の御用商人となったことから、慶應3年(1867)日本橋の現在地に出店した。
埼玉県民に教えたい。

これも美味しかったけれど。
あまりにも日本橋餅の衝撃が大きすぎた。
口の中がいきなり江戸時代になった。














