遠い先祖のルーツを訪ねて。 これはローマ紋章院に登録済みの私のエンブレム。外向きの双獅子像は天平時代のタペストリー(刺繍絨毯)に由来している。遠い奈良時代の先祖は平城京の実務官僚だった。遣唐使の家柄で、当時の天文学・陰陽道の文献を大量に持ち帰った。この古代自然科学の文献図書庫が役小角の修験道、安倍晴明の陰陽術を生むことになるのだが。渡唐前の弘法大師空海も、我が家の陰陽術・修験道を取り入れ、後に雨乞い祈祷をしたり、山岳仏教を興したと伝えられている。唐招提寺への道は、古代そのままの奈良時代の姿だ。そして、この唐招提寺の講堂は、平城京の朝集殿をそのまま移築したと伝えられる古代の遺構だ。この建物に、自分の先祖は勤務していたというわけだ。だから、墓ではないが、ここには私の先祖の声が宿っている。そんな気がする。奈良巡礼は先祖帰りの旅だ。新たな勇気のエネルギーがもらえる。私の信念だが。日本人は先祖をさかのぼると、平氏・源氏だったり、諏訪や出雲、八百万の神々の末裔だと思っている。秦氏・岳氏・百済王氏といった帰化人の子孫もいるだろう。埼玉県日高市高麗神社の高氏の先祖は北朝鮮の高句麗王家だ。しかし、帰化して千年、アイデンティティを守りながら、日本人と婚姻を重ね、皇室の血統にも繋がっている。もちろん太古の日本は貧しい階層もいたし、全てが裕福だったわけではない。でも貧困世帯にも先祖の神々があり、身体障害者にも守護神(久延毘古命・思兼命)がいた。むしろ障害者の姿の知恵の神は、アマテラス神も、オオクニヌシ神も発言を無条件に尊重した。聖徳太子は道端に行き倒れた空腹の旅人の姿に仏を感じた。神代の意識をとりもどすこと、自分の内面に呼び醒ますこと。そこには現代世界にも相通じる八百万の神々共存の知恵があると信じている。