イギリスの戴冠式で、いま英国ブームが起きつつあるようだ。
ところで東京駅大丸でターキーレッグを買ってきたので。
イギリスから持ち帰ったオリジナルソースをかけて食べ比べしてみよう、ということになった。
最初はワトキンスのマッシュルームケチャップ。
 マッシュルーム ケチャップはイギリスで作られた最初のケ​​チャップと考えられていて、ビクトリア朝時代に家庭の薬味ダレとして大流行した。
 ケチャップの語源は、アヘン戦争前の時期、中国からイギリス東インド会社を通じて輸入されたオイスターソースや魚醤(ケシャップ)。
 実は古代ローマ時代からアンチョビソースはブリタニア(イギリス)まで普及していたが、魚醤の臭いに慣れない人々がキノコ類でケチャップを作り直したと考えられている。
 このころの専属コックがいるような上流階級では、生のキノコや乾燥したキノコを煮たり、スパイスと一緒に漬けたりして作った。
 このレシピはキノコ採取の農園主に伝わり、売り物として瓶詰めケチャップが食材店(当時のコンビニ)にも並ぶようになった。
 1830 年代にロンドン郊外カムデンマーケットのケンティッシュタウンで営業を始めたクェーカー教徒のジョージ・ウイリアム・ワトキンスは、1850年にロンドン中心のセントジョンズウッド(有名なアビーロードがある)に店鋪を移転し、イタリアの業者の誘いで石油相場に手を出した。
 最初はまあまあ儲けは出たらしいが、深みにハマった途端、1857年に石油相場は大暴落し、ワトキンス一家は破産してしまった。
 イギリス政府がフランスのナポレオン3世のトルコ・ロシア間の第一次クリミア戦争(1854~1856)のトルコ支援に参加し、戦後にトルコから大量の石油が送られたからである。
 ワトキンス一家は切羽詰まり、ライバル企業だったCrosses&Blackwell社にマッシュルームケチャップのレシピと販売権を譲渡した。
 C&Bはワトキンスの名を尊重し、ラベルデザインをそのままに大量生産に踏み切った。
 このクリミア戦争はイギリス海軍が東インド会社に代わり、トルコやアジアに本格的に進出する契機になったが、同時に現地の肉を調達してもうまく調理できない食糧難にもぶち当たった。
 しかも各戦艦の料理人は現地で募集した中国人やインド人だった。
 戦後、海軍はソース業者に大量購入を約束し、ウスターソースの元祖リー&ペリンをはじめ、各メーカーはこのときから現在の瓶詰めソースを作り始めたのだ。

 

 


  日本ではイギリス海軍の戦艦でコック見習いだった職人さんがウースターソースやカレーのレシピを盗み出し、これを大阪の薬問屋に売ったところから爆発的に普及が始まった。
 だから実はイギリスでもソースやカレーが一般に普及したのは明治維新あたりなのだ。
 同じ情況はイギリスでも見られた。
 HPソースの原型のグレービーソースを開発したノッティンガムのFredericck Gibson Gartonは、インドから胡椒を取引した商人からグレービーソースにタマリンド(甘いソラマメ)とナツメヤシ(デーツ)を混ぜるレシピを受け取った。
 この商人はもちろんガートン商店にインド原産のタマリンドやデーツをしっかり輸入させようと営業ツールを持ち出したのだが、これは現在のチャツネソースの一種だったと考えられる。
 1884年に販売を開始。
 この時にはバンケット(宴会)・ソースと商標登録している。
 ところが1895年にガートンはイギリス下院の議院食堂で自分のソースが提供されている事実を知り、HP(議事堂)ソースという名前を登録商標申請した。
 が、彼もワトキンスと同じく、1899年にバーミンガムのミッドランド・ビネガー・カンパニーの負債が支払えず、HPソースのレシピと販売権を譲渡して破産してしまった。
 ここでもミッドランド社はガートンのスキャンダルを隠すつもりだったか、議事堂とガートンのラベルデザインは変えずに大量生産を続行した。
 HPソースが議院食堂の料理人と国会議員たちに支持されたのは、もちろん兵士や将校として外国(南アフリカ・第一次ボーア戦争 1880~1881)に出たとき、若きウインストン・チャーチルらもこのソースが頼もしい戦友だったからである。

 

 


  A1ソースの起原は、美食家で浪費家、肥満で亡くなったジョージ4世(1762~1830)にあると言われる。
Henderson Willam Brand は最晩年の国王専属の料理人(1824~1831)で、彼が考案したソースは肥満体型の王をますます肥満させるかのように、オレンジ・マーマレードや中東のデーツなどをこってり混ぜ合わせたものだった。
 それでジョージ4世は《A1》という命名をしたのだが、これは金融機関が各企業の信用レベルを《AAa》とか《Ab2》とランク付けする表現。
 国王の死後、ヘンダーソン・ブランドも1835年に開店した食堂の経営に大失敗し、自己破産したのだが、彼は王室を味方にしていた。
 1862年にロンドンで開催された世界博覧会で、ブランドはイギリス政府から総料理長に招聘され、この時にA1ソースも世界デビューとなったのである。
 腐敗の原因になる赤ワインソースではなく、レーズンペーストを代用したのもヘンダーソン・ブランドのアイデアだった。
 HPソースやマッシュルームケチャップと同じ時期にA1も大量生産が始まったわけだ。
 この味に魅了されたのがアメリカ人で。
 A1ソースはアメリカ陸海軍に正式採用され、1945年から沖縄にも持ち込まれた。
 現在イギリスではA1ソース製造はほとんど輸出用で、国内のスーパーでは「味が古い」と評判も落ち、価格もHPソースとの競争に敗北したそうだ。
 HPソースはHainzの軍門に降ってイギリスでの製造を撤退し、オランダに移転した。

 

 


私は留学中にアメリカのマッシュルーム文化に慣らされて、今でもマッシュルームスープやマッシュルームシチューをありがたがって作るので。
このマッシュルームケチャップは開眼だった。
本当に美味い。
味はマッシュルーム風味のウスターソース。

A1ソースはまずいという評判も聞くが、ナツメヤシ・デーツを原材料に使った点、広島のオタフクソースにインスピレーションを寄与したことを評価したい。
ちなみにこう甘いソースは鴨肉にはぴったり。
鴨ロースはベリージャムで食べたりするから、A1ソースのドロ甘い味はトマトソースより美味しい。
沖縄のテンダーロインにピッタリというのはドンピシャだろうね。

さて、残念ながら、あまり鴨肉と相性がよくなかったのはHPソース。
ただしハンバーグ、とくにコンビニや精肉店で売っているメンチカツには相性抜群だった。
チャンスがあったらお試しください。

本日のおうちごはん

 

 

 

 

 

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