
1941年、イギリスのチェシャー生まれ、普通の中流家庭の子女だったヴィヴィアン・イザベル・スワイアさん。
ロンドンの芸術専門学校・王立ウエストミンスター大学卒業のあと、名前が気に入ったデレク・ウエストウッド氏と結婚。
普通のサラリーマン主婦の生活を捨てて、アナーキスト運動に飛び込んだ。

不倫相手だったアナーキストのリーダー、マルコム・マクラーレンが、伝説のパンクバンドSEX PISTOLSのマネージャーとなった経緯で、パンク・ファッションのブティックを開店したことがブランド設立のきっかけになった。

彼女の才能に惚れ込んだジョルジュ・アルマーニから多額の支援を受けたが。
すぐにアナーキストやバンドメンバーの遊興に奪われてしまったという。
これで彼女は覚醒した。
アナーキスト運動やパンクロックは何も生み出さない、と。

それ以後も善良な彼女はファッション界の財閥に翻弄され続けた。
ヴィヴィアンさんの子どもたちがブランド経営に携わったら、全世界に展開した彼女のブティックの経営権はすべて奪われた後だったという。
つまり、ヴィヴィアンさんはいつのまにか契約デザイナーに過ぎない立場に追いやられていたのだ。

そこで彼女を救ったのは、何と日本のファッション界だった。
だから彼女の遺産は、日本国内のブティック・チェーンの経営権だけだったのだ。
私はこのとき、ヴィヴィアンさんと握手するチャンスに恵まれた。

大英帝国勲章の授与式にもヴィヴィアンさんはノーパンでパパラッチたちを挑発した。

昨年末にお亡くなりになったとき、ショックで何も書けなかったが。
彼女を偲んでチョコレートを買おう。
