4,大混乱の元凶は監督
ウィキペディアの「ロックンロールサーカス」の説明にはこう書かれている。
~監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグは、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のプロモーション・ビデオでディレクターを担当したことがあった。
収録は、1968年12月10日から12日にかけて、ウェンブリーにあるスタジオにて行われた。
リンゼイ=ホッグはポール・マッカートニーにオファーする事を考えたが、腰の重いマッカートニーを口説くには時間的余裕がないと判断し、ジョン・レノンに電話でオファーしたところ、即座に出演を承諾してきたという。
また、エリック・クラプトンはレノンが連れてきたという。
レノンはこのイベントのために、クラプトン、ミッチ・ミッチェル、そしてキース・リチャーズと共に、この日限りのバンド「ザ・ダーティー・マック」を結成した。
ダーティ・マックの紹介はジャガーとレノンの二人で、ストーンズの紹介はレノンが手話で行った。
12月10日の昼頃から収録から始まった。
初日はほぼリハーサルに費やされ、本格的な撮影は11日の昼から始まった。
予定では11日の夜9時30分までに全ての収録を終えるはずだったが、様々なトラブルにより進行は大きくずれ込んだ。
各アーティストの演奏も何度もリハーサルや撮り直しをしており、途中で休憩を挟むなどしたが、出演者はもちろんのこと、観客も疲弊した。
結局全ての収録が終わったのは12日の午前6時過ぎで、観客はおろか、出演者の中にも途中で帰った者がいる。~
RRCの収録はこのようにとんでもない展開になった。
結局、この≪ロックンロール・サーカス≫の映画フイルムは放送されず、30年間も手つかずに放置されることになった。
しかし、リンゼイ・ホッグ監督自身は年末年始も休む暇はなかった。
嫉妬心に駆られたポールのオファーを受け、翌1969年正月2日から3週間の日程でビートルズの新アルバムの記録映画を撮影する予定だったから。
そう。
今回の映画≪Get Back≫と映画≪Let It Be≫の撮影原画だ。







