3,永遠のライバル、ストーンズ

《サージェント・ペパーズ》の大成功は永年のライバル、ローリング・ストーンズにも衝撃を与えた。
リーダーのミック・ジャガーは、他のメンバーから「こんなのはストーンズのロックじゃない」との反対を押し切り、
ピアニストのニッキー・ホプキンスの協力を得て名曲≪She Is Rainbow≫を出した。


同曲の魅力的なピアノと交響楽団の伴奏メロディラインは、クラシックに通じたホプキンスの創作である。



ジャガーは後にこの≪サージェント・ペパーズ≫の影響とオマージュを正直に認め、ジョン・レノンさんとも親友になった。

そしてビートルズのTV向け映画≪マジカル・ミステリー・ツアー≫に対抗し、
サーカスの舞台でストーンズやザ・フー、エリック・クラプトンらが競って演奏する、TV向け映画≪ロックンロール・サーカス≫が構想された。
実現の指揮を取ったのはストーンズの豪腕マネージャー、怪物アラン・クライン。


この映画Get Backでもジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんを呼び出して、ビートルズのマネージャーを引き受ける提案をおこなっていた。
(クラインはアップル社の不正経理の粛清に働いたが、ミック・ジャガーの忠告を受けたポールと対立。これがビートルズ解散の決定打となった。)


そして。。。このロックンロール・サーカス公演には、ジョン・レノンさんが一人で参加した。
それをみたポール・マッカートニーは激しく嫉妬したとおもう。

このロックンロール・サーカスの撮影監督が、大問題の准男爵(Baronet)マイケル・リンセイ・ホッグだった。