高橋政知オリエンタルランド社長と
カード・ウォーカーWaltDisney会長Esmond Cardon Walker

ディズニー・プラスで公開されたテーマパーク構想・企画・設計企業『イマジニア』社史ドキュメンタリーでは。
ロイ・ディズニー会長からフロリダのエプコット・センター(ウォルト・ディズニーの遺言で建設が進んでいた)に頭がいっぱいのウオーカー社長の社長室に毎週、オリエンタルランドから国際電話連絡が来ていた。
「断っても断っても電話が来るんだ」と相談すると。
イマジニア(当時はWED)社長のカール・ボンジルノさんが
「利益だけもらえ。費用はすべて日本側が出させろ」とむちゃくちゃな提案をした。
ウオーカー社長は「そんなバカな」と反対したが。
「そう言ったら、向こうも考え直して諦めるだろうよ」
ボンジルノさんは冗談めかして言ったらしい。
実際にウオーカー社長が電話でそう言ったら、
高橋政知さんは「それで行こう(Let's Go)」と即決で答えた。
ウオーカー社長はびっくり。
「まさか、本当にいいのか」
始まりはまるで江戸時代の不平等条約だったが、
世界初・実物大の新しい城2つが実現したように、現在はディズニー本社とオリエンタルランドは対等な交渉地位にある。
日本の社会史で、映画のワンシーンでしかなかった公衆面前のキス(路チュウ)が始まったのはこれが最初だった。



 日本を代表するテーマパーク「夢と魔法の王国」がオープンした1983年4月15日。

「あの日」の2日前から並んで一番乗りした人物を追跡!

なんと今は○○になっていた!

オープン2年前から入社して「あの日」を記録、人生をテーマパークに捧げた公式カメラマンの人生とは?


 あの日、偶然そこにいて - NHK 

 




☆参考☆