パリ訪問時の渋沢さん(1867年 27歳)
青淵先生米寿(子爵89才)祝賀会のメニュー

クリームスープ
伊勢海老 マヨネーズソース
ブレゼ(焼き蒸し)ビーフ マデラ酒ソース
鴨肉ロースト フライドポテト
サラダ
プディング
果実 コーヒー

相当なフルコースだ。
かなりの食いしん坊だったんだね。
帝国ホテル(創立期本館・煉瓦造)竣工まで
~渋沢翁の建築への思い~

「ホテルを建てるとなったとき、建物についてはさまざまな議論があった。西洋の真似ばかりするのも面白くないが、純粋の日本式では外国人客が困ってしまう。そこで基礎工事は西洋式に則り、屋上は日本風、さらに古代建築を加味したらどうかと言うので、ドイツから招聘した技術者たちを京都・奈良方面に連れて行き、古社寺の建築法を研究させたこともあった」と述べており、
初代本館建築にあたり、渋沢翁が建物の意匠まで強い思いを寄せていたことがわかります。
(渋沢栄一伝記資料 53巻)
1890年 帝国ホテル開業式の言葉
東京府知事(蜂須賀茂韶侯爵・オックスフォード大卒)の祝辞に対する答辞には、帝国ホテルの発展を願う思いと強い使命感が表れています。

「建築や設備・什器は日を尽くしたものではないが、数百名の賓客をおもてなしするのに不足はなく、
皿も器も贅を極めてはいないが、用命があれば世界のどんなものでも調達して便宜を図る。
これこそ帝国ホテルが自身の果たすべき役割と心得、絶対に譲らないところだ。
知事閣下が、ホテルはその国の民意や文明度を示すものとおっしゃられたことについては、
現在は力不足でも、近い将来は必ず恥ずかしくないレベルを約束する。
どうか御愛顧をお願いする」

初代会長 渋沢栄一が
帝国ホテルに残した言葉

「色々の風俗習慣の、いろいろな国のお客を送迎することは、大変にご苦労なことである。
骨の折れる仕事である。
しかしながら、君たちが丁寧に、よく尽くしてくれれば、世界中から集まり、世界の隅々に帰って行く人たちに、
日本を忘れずに帰らせ、一生日本をなつかしく思い出させることのできる、
国家のためにも非常に大切な仕事である。
精進してやってくださいよ。」

まるでウォルト・ディズニーではないか!
1965年 25歳の侍姿。