今日、ちょっと胸にせまる感動がありました。

パレードルートを歩いていると、身体が不自由なみなさんのための特別スペースがあったりします。

そうなると、障害をもったお子さんのご家族と、われわれ行きちがうこともないし。
近くで、どうされているかもわからないし、まあ無意識だし、無関心になりがちです。

もちろん、ご家族で困りごとがあれば、キャストさんたちがしっかりと対応していただけると思います。
あえて、われわれがおせっかいをすることはないわけ。

でもちょっぴり反省しています。
今日はたまたま、となり近くで、ミッキーたちがグリーティングで、
障害をもったお子さんのそばにきて、
励ましたり、
ミニーちゃんが若いお母さんをハグしたり、
せいいっぱい、ご家族を楽しませる気づかいをする数分間を目にすることができました。

私はこういうご家族に同情するなんて、そんな立場にはないんだけど。
ディズニー・リゾートが、厳しい毎日の現実から離れて、
このご家族にとって、大切な役割をしているんだなと。
ミッキーたちにも、そして、このご家族にも感謝したい気持ちになりました。

これとは別な話ですが、
作家の吉本ばななさんの『海のふた』という小説の韓国語訳が出版されたニュースを聞きました。
さっそく、ばななさんに「あの小説は韓国で映画化されたら、韓国の女性たちにいい意味でカルチャーショックになりますね」と感想を送ったところ、

「(映画化の)お話はよくあるんですが、いつも自分の女優さんのスケジュールがつかなくて頓挫してます」と、ばななさんご本人から返信が。

『海のふた』という小説は、主人公の女性が、都会の生活を切り上げ、故郷の海辺で、自力でかき氷屋さんを開店する、という。
そこに、顔に大火傷のキズ痕をもった少女が同居人になる展開。
 
私はさすがにこんな経験はないけど、腕に無数のリストカットの痕がある女性といろいろ話し合ったことはあります。
同じにはできないけど。

怪我は、「我を怪しむ」と書きます。
「なんで。私が」と自分を責めたり、他人を恨んだり、心の葛藤に苦しむわけですよ。
行き場のない怒り、哀しみ、不安。
ぐるぐる渦巻いて、いっそのこと、生きるのをやめたら、
なんて思い詰めちゃうわけ。

でもね、『海のふた』は、故郷の海の美しさ、障害をもった少女の純粋さが主人公の心を救う。
洗い流すというか。

いま、韓国の社会は女性にすごく厳しい。
日本では考えられないストレスの重圧で韓国の女性たちは苦しんでいると。
だから韓国語版の『海のふた』を読んで、自分なりの生き方をみつめなおして、大切なものをとりもどしてほしい。

今日はミッキーたちのこと、
偶然にも『海のふた』の話題が重なって、 
ディズニーの役割や社会的な使命について、
あらためて心に確かめた一日でした