
高橋シェフはフランス料理の料理人になろうと志すと、「ミシュラン」の3つ星、2つ星のレストランに片っ端から手紙を書いた。ところがどの店からの返事も、採用は「ノン」ばかりだった。たった1軒受け入れてくれるレストランがあり、それがパリの「ラセール」だった。フランスでの修業ぶりやフランス料理にかける想いなどについては、彼の著書「メニューの設計図」(柴田書店刊)をお読みいただきたい。
1960年代後半、彼がフランスの名店「ラセール」や「トロワグロ」などで修業を重ねたのちに日本に帰り、その後頭角を現すのは、銀座の「レンガ屋」の厨房に入ってからである。オーナーの稲川慶子さんは、当時フランスの料理大使と呼ばれたポール・ボキューズを顧問に招くほどの傑女で、「レンガ屋」は「マキシム」と並んで東京を代表するフランス料理店の1軒だった。1970年代半ばの頃である。
その後、有楽町に新しく出来たレストラン「アピシウス」の料理長に就任する。オーナーの森一さんに見初められ、理想のレストラン作りがはじまった。森さんはヨットに乗って釣りもすれば、狩猟もする美食家で、食材を出来ればすべて自前で供給してしまおうという遠大な理想を掲げる豪快な実業家でもあった。