
「まる子」姉役、声優の水谷優子さん
夫が明かした“最期の言葉”
女性自身 [5/29 06:00]
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160529-00010001-jisin-ent
「彼女はずっと『病気のことはあまり人には言わないでね』と言っていました。親族に打ち明けたのも、本当に最近のことだったんですよ」と語るのは、アニメーション監督の西久保瑞穂さん(63)だ。
西久保さんの妻で声優の水谷優子さんが、乳がんで亡くなったのは5月17日。
51歳の若さだった。
水谷さんは’90年からずっとアニメ『ちびまる子ちゃん』で“お姉ちゃん”・さくらさきこの声優を務めてきた。
水谷さんは’85年に声優デビュー。’
88年に『エースをねらえ!2』の岡ひろみ役で、初めて主演に抜擢された。
「めいっぱい叫びながらテニスをする主人公に入り込みすぎて、優子は喉を枯らしちゃったんです。 その仕事の直後に入っていたのが、僕が手がけていた『天空戦記シュラト』の収録でした。声を枯らした声優に来られても困るのですけどね(笑)。彼女はそんな一途な性格でした」(西久保さん、以下同)
2人が結婚したのは’94年11月19日。
西久保さんが41歳、水谷さんが30歳のときだった。
声優歴31年の水谷さんは、数多くの役を演じてきた。
「『ブラックジャック』のピノコも長いし、他に長くやっているキャラがいくつかあります。長く演じた役にはどれにも愛着を持っていましたが、『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃんは、いちばん自分の地声にも近いし、キャラクター的にも演じやすかったようです。 自分のなかの厳しい部分を、わざと出して演じていたのでしょう」
この数年は人知れず乳がんと闘ってきた水谷さん。
最近では、めまいなどにも苦しめられていたという。
「僕も時間があるときは彼女を現場に連れて行っていました。車から降りた彼女を、今度はマネージャーさんが、スタジオに連れていってくれていたんです。それまでよろけていた彼女が、スタジオに入るとシャキッとなって。仕事なので無理して頑張っていたのでしょうが、その後に体調を崩すことも増えてきました」
水谷さんが『ちびまる子ちゃん』の最後の収録に挑んだのは4月22日のこと。
その日も現場へは西久保さんが送っていった。
「吐き気もあったので、洗面器を持って移動していました。 ほかならぬ本人の意志でしたし、私も応援していましたが、現場のスタッフの皆さんも、いろいろフォローしてくれていたようです。かなりつらかったようですが、彼女も『できた』と言って、戻ってきました。その日の収録では、お姉ちゃんがクローズアップされるエピソードもあり、セリフも多かったから、本人も喜んでいたと思います。でもまさか、あの日がちびまる子の最後の収録になるとは、彼女も私も思っていませんでした」
水谷さんの体調が急激に悪化したのは、その1週間後だったという。
「病室に台本などを持ち込んでいて、本人としては仕事を続けるつもりだったんですね。でも、さすがに体調がかなり悪くて、そこまではできませんでしたが…。特に彼女も意識していなかったようですが、
『仕事に行きたい』が最期の言葉になってしまいました。入院期間は2週間ちょっとでした。まぁ逆に言うと、亡くなる2週間前まで仕事をしていたわけですからね。僕なんかより全速力で突っ走って…、本人としては満足しているのではないでしょうか」
水谷さんが喜んでいたという“お姉ちゃんのセリフが多いエピソード”は、5月29日に放映される予定だ。
「優子が毎回録画はしているのですが……。最後の放送は、できればリアルタイムで見てあげたいと思っています」
そんな西久保さんの言葉には、声優として命を燃やし尽くした妻・水谷さんへのいたわりが込められていた―。
まる子とさきこは、一緒に写生大会に参加する。
お目当ては、お母さんの手作りの弁当。
公園に着き、同じシートに座って構図を考える2人だったが、
イチャつくアベックやバレーボールをするグループの妨害に遭い、落ち着かない。
3度目の場所でようやく写生を始めるのだが、
腹ペコで「ぐぅ~」とおなかがなる2人。
お弁当を食べようと、今日、初めて意見があった2人は、おにぎり、タコさんウインナー、何よりも楽しみにしていた、デザートのメロンを前に笑う。
まる子は、「お高いメロンってわけにはいかなかったんだな。でも、お母さんにしては奮発したね」とらしいコメント。
すると今度は、2人の前にまる子のともだちの山田くんが現れ、
弁当を忘れておなかを空かせているという。
2人は、彼を誘い、3人で仲良く弁当を食べるのだった。
食後、仲良く写生を再開した2人はそれまで口論が絶えなかったのが嘘のように、絵の具を貸しあい、仲良く絵を描く。
そして、2人はそろって写生大会に入賞する。
優子さんの声のさき子は、ふだんと変わりない声で、意地悪だったり、やさしく諭したりとおねえちゃんらしさに溢れていた。
姉妹が仲良く絵を描く姿は、さぞ、ファンの涙を誘ったであろう。

※すごく短い間に逝かれたこと。
それも水谷さんの周囲への思いやりと気づかいだったのかも。
いちばんの理解者に看取られていたんですね。
また会いましょう。