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いまでもベティちゃんのキャラは健在で。
アイテムはよくキャラクターショップでちらっと見かけることがある。

でも、いったんはディズニーの《シリー・シンフォニー》をコロンビア映画から叩き出すほど猛威をふるったベティちゃん。

その後は。

実は別の動きが、彼女の人気にマッタをかけた。

ベティちゃんやミッキーが登場するより前、
1921年のこと、無声喜劇映画で「パイ投げ」って荒業を最初にやった人物、
ロスコー・ファッティ(太っちょ)・アーバックルという人気俳優が、新人女優ヴァージニア・ラッペを暴行致死させた容疑で逮捕された。

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陪審裁判の結果、パーティーの出席者に、アーバックルのアリバイを証言するものが登場し、無罪となった。
もちろん、アーバックルが移籍したばかりの大手映画会社パラマウントが優秀な弁護団をつけたことも後押しした。
当時は指紋の証拠は知られていたが、さすがにDNA検査のようなものはなく、事件の物証はほとんどなかった。

しかし、アーバックルの部屋のベッドで美人女優が意識不明の状態になったのに、犯人は不明とはどうゆうことか。
いまのジョン・べネット殺害事件のように、後々まで話題となった大事件。
これがいわゆる「ハリウッド・スキャンダル」の始まり。
この事件がきっかけになり、映画スターたちのプライバシーがだんだんマスコミをにぎわすようになった。
当時は映画産業が確立してから10年ほど。
草創期の俳優や女優たちはほとんど巡業芝居の舞台役者たちで、
その舞台を仕切るのは地元の風俗業者たちが多かったから、いわばスキャンダルの固まり。
電信電話もあまり使えない時代とあって、三流役者やエキストラには姓名を偽った元犯罪者や刑務所の脱走者までまぎれ込んでいた。

危機感をおぼえたBIG6(6大映画会社)は翌1922年、アメリカ映画配給業協会 the Motion Picture Producers and Distributors of America (MPPDA)を発足、監督や俳優の移籍にスキャンダルがからんでいないか、移籍のオファー金額が過剰にならないように、業界の交通整理をはじめた。

しかし、一度スキャンダル報道の美味しさを知ったマスコミは、ますます映画スターをターゲットにしたニュースを流しつづけた。

1929年になって、事態を憂えた大手業界紙 Motion Picture Heraldの編集者でカトリック信徒マーティン・クィッグリーと、イエズス会士であるダニエル・A・ロード神父は、映画の中の暴言、ワイセツ、犯罪、反社会的内容、あるいは人種間の恋愛などの表現を自粛する倫理規定の原案を自主作成、映画スタジオに送った。
このままでは映画の内容を論評するより、レベルが低い映画にひっかけた、ありもしないスキャンダル報道がまかり通り、
子どもの情操教育にも影響が出る。
ロード神父たちは成人向けにつくられた映画が、家族いっしょに連れられた子弟に与える影響について人一倍心配していたわけ。
これは現在、年齢制限条項という形で近代化されている。
もちろん神父の心配よりウォール街にも人脈がある業界通のクィッグリーの苛烈な倫理批判は無視できなかった。

1930年2月、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)のアーヴィン・タルバーグら映画スタジオの代表者数名が、ロードとクィッグリーに会い、いくつかの修正を加えた倫理規定を採択することに同意した。
首都ワシントンにオフィスをかまえるMPPDA会長ウィル・ヘイズ(元郵政長官)がこのカトリック文体の壮麗な合意文書を正式に制定。
ヘイズ・コードは1934年に発効した。

一般の長編映画はあまり影響がなかったというが。
短編で、しかも一目瞭然のワイセツ物あつかいされたベティちゃんの下着姿は、真っ先に見せしめのように規制勧告を受けた。

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このように社会が好むものより、業界全体で規制の意識が広まった結果、
パラマウント映画もベティちゃんを放り出して、ポパイに力を入れるようになった。

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1933年《シリー・シンフォニー》の独自路線で突き進んできたディズニー・スタジオは、あの名作《三匹の子豚》を発表。
全米あちこちでロングラン上映する映画館が続出した。

これは元衛生兵ウォルトも所属する在郷軍人会など、国防増強に関心がある保守層の熱烈な支持があったからである。
彼らはまた倫理を重視する教会の影響も受けていて、子弟に対するヘイズ・コードの支持者でもあった。
当時のアメリカにはショッピングセンターなどはなく、
一般市民の家庭は白人も黒人も日曜にキリスト教会にいって、そこの小さなイベントに参加したり、
冷蔵庫もないので教会広場の市場で毎週の買い物することが唯一の娯楽だったのである。
だからキリスト教会の社会的な権威はいまより比較にならないくらい強かった。

こうして《三匹の子豚》はヘイズ・コードがいきわたった1934年、アカデミー短編部門賞を受賞。
ウォルト・ディズニーは驚異の2年連続オスカーに輝いた。

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いま、TDRでみかける子豚たち、
彼らはミッキーや白雪姫と同じ。
いやディズニーのキャラクターとしては初めての
どえりゃあオスカー受賞者なんですわ(笑)