
読者さんが[ミッキーと喜劇王チャップリンは関係あるんじゃないの]という疑問を持っていたんだけど。
実はチャップリンはすごくウォルトを嫌っていたという話が伝わっています。
同時代の人なのに、どうも仲が悪かった。
どうして。
その理由は、ミッキーが主役として1928年11月にデビューした[Steamboat Willie]にあったんです。
ディズニーファンはミッキーしか知らないけど。
同時代のチャップリンからしたら、自分が創立したユナイテッド・アーティスツ映画会社が、ライバルMGMから移籍したばかりのバスター・キートン主演映画、[Steamboat Bill Jr.]のパクリでしかなかったわけ。

さて、ディズニー神話だけを聞いてると、当時の人々が短編のミッキー映画だけを見にきたんではないかと誤解しちゃってるかも。
わかりやすく説明するとだね。
いま映画館にいくと、《紙ウサギ・ロペ》とか《鷹の爪団》とか。
どうでもいい、しょうもない短編アニメーションが強制的に流れるでしょ。
ミッキーの初期の短編アニメーションは、あんなものだったんです。
刺身のツマ、トンカツのキャベツみたいなもので。
だから長編の無声映画をつくっているチャップリンにとっては、
ウォルトに対して、[この無礼なパクリ野郎が]という第一印象があったと思う。
残念ながら。

喜劇王の二人は晩年、名画《ライムライト》で共演しましたが。
チャップリンたちが1919年にハリウッドでユナイテッド社を設立した時、
キートンは参加しなかったけど、
ニューヨークにあったチャップリンの私設撮影スタジオを買い取り、実質的に資金援助していました。
すごく恩義があるわけよ。
逆にウォルトは、キートンの映画をパクったように、
実写映画のようにアニメーションに人物画を登場させようという野心に燃えていたようです。
ウォルトの最初のヒット作が、アリスをテーマにした実写とアニメーションの混合だったんでね。
しかし、これの実現がなかなか技術的には難しかった。
それでひとまず人間と動物キャラクターの中間《骸骨》や《小人たち・Dwarfs》が生み出されます。

たまたまウォルトがグリム童話集を読んでいて、挿し絵の《妖精の小人たち》の存在に気づいたことで。
すぐアイワークスに、
「おい、これなら描けるんじゃないか」と。
こうして《ミッキーマウス・シリーズ》がビジネスとして大成功する一方、
ウォルト・ディズニー・スタジオは新たにアニメーターをたくさん雇い入れ、翌1929年に童話の妖精や神話を題材にした《SiIly Symphony》シリーズを開始。
《silly》というのは、自虐的な表現で、お粗末な、おめでたい、とるに足りない、バカバカしい、という意味。
ミッキーのトーキーBGMの作成で協力してくれた音楽家たちのグループからミュージカル並みの楽曲を提供されて。
ミッキーとは一線を画して、あえて笑いをとらないで、少しずつアニメーターたちの技量をあげて、人物キャラクターのアニメーションに近づけていこう、という新規事業でした。
ウォルトは、これを大手のコロンビア映画に配給(問屋のように、全国の映画館に自社の映画フィルムをコピーして配送するビジネス)を持ちかけ。

1929年から1932年の4年間の26本の白黒作品はコロンビアから配給されたんだけど。
そこに突然、思わぬ強烈なライバルが登場する。
