もう変えられないこと | きいまりのブログ

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4人の子育て中のママのブログです。
小6娘が自閉症スペクトラム障害の診断がついて支援学級在籍(入学時境界域知能で知的クラス)、てんかん服薬治療中、低身長治療中。中3長男通級と放デイ利用中。中2小3メンズは似た傾向ありHSCの傾向あり。
ブログ内時々毒あり。

義母を引き取る形で同居した話。

あのときはそれしか選択肢がなかった。




それと同じような状況になった

旦那の知り合い。

引き取る側ではなく、引き取られる側。



うちの場合は

義母は一人暮らしを続けたいと言ったけど

一人で暮らすには家賃が高すぎる家に居て

同居人の都合で家賃負担もできなくなったと

丸投げ状態。

家賃負担が増えれば生活を圧迫するため

大急ぎで家を片付け

やむを得ず家具をたくさん手放し

必要最低限の家具を残し

賃貸契約を解約して


こちら側としては

数少ない部屋の1つを提供し

2階は使えない身体のため1階の広い部屋を

それこそ、こちらの家具も一部手放し

入り切らない、捨てるまでいったん置いとく荷物で廊下も庭もぎゅうぎゅうからスタート。




知り合いのかたの話に戻ると

息子さんがおいでよと呼んでくれた。

そのかたは、もうひ孫がいるかたなのだけど

引っ越したあとに役場から介護認定の人が来たとか。

孫の嫁にはおばあちゃんをみている余裕はないとか

言われたらしい。

そして、家具をたくさん捨てられたと。




本人の希望ではなかったところは同じだけど

そして、義母も家具は手放したくなかったと思う。

この話で違うところは、義母は既に車椅子で

デイサービス等を利用することで要介護にならないようにする生活をしていたところ。

知り合いは歳を重ねて目が見えにくいとか少し生活しづらくはなったけど、問題なく生活できていたところ。


義母に関しては、その生活の基盤のデイサービスを減らしてでも一人で暮らすのだと言い張ったけれど、こちらは家賃を負担することなど無理で

それこそ

『おばあちゃんをみている余裕はない』

状態だったけれど

他に頼るところもないし、ほっとくわけにはいかないということで、引き取って同居という形になった。

同居したことによって使えなくなったサービスもあり、リハビリという理由をつけて、そのサービスに近い形で外出回数を確保した。


義母は

手すりがない家から手すりがない家に引っ越したのだけど

うちでは手すりをつけないと生活できないと

デイサービスの担当やケアマネから言われて

玄関先に新設とレンタル、トイレに新設の手すりを介護保険でつけて

なんとか8年ほど生活してもらった。


今は要介護5になって、施設にいる義母。

なんとかやっと同居していたところを

要介護ついたからとレンタルベッドとかにしましょうかといったところで、首を縦に振るような人ではないということと

トイレ介助だけでも、まだ少し手のかかる子どもの世話とパート勤務と家事と一緒にやることは不可能だと努力することを諦めたのと

もともと、要介護になっても家ではみれないと

一応言っていたこと。

つまり、少し身体が不自由でも、トイレと風呂はほぼ自力でできることが、今の状況で同居を続けられる条件のような形だった。



義母サイドから見たら

ひどい嫁だったかもしれない。


知り合いの話を聞いて、自分も同じようなことをしていたし、あのとき、他に選択肢はなかったのか、それこそ一人暮らしを続けてもらって関わらなければよかったのか。

要介護5でも家に戻れるようにしてあげるべきだったのか。

なにが正解なのかはわからない。



知り合いは、ケンカして戻ってきた。

戻ってきたときに少し手伝いをした。


ああ、お義母さんも

こんな気持ちだったのかもしれないと。



もう変えられないこと。