一昨日、昨日と友達といろんな話をしています。
一昨日は、ずばり「死」について。
「いつどんな形で死を迎えるか、わからないよね?」という内容でした。
きっかけはTBSの「ドリームエクスプレス社」で放送されていた
逸見政孝さん編の前半でした。
実は、私が「平成教育委員会」の時の逸見さんが大好きで・・・、
ガンについての記者会見は今でも強く印象に残っています。
真剣な話、20歳を超えたら
いつ自分が病気になってもおかしくないはず。
それに事故や事件に巻き込まれる可能性なんて、そこら中に転がってます。
朝「行ってきます」とあいさつして
それが最後の会話だったということになる可能性は大いにあるのです!
そう考えると一日一日をどれほど大事に生きる必要があるのかが分かるような気がします。
昨日は、
今日判決が下された痴呆の母親を殺害した男性の裁判報道がきっかけでした。
その男性は10年以上、母親を介護し続け
仕事をやめ、お金が底をつき、最後に仕方なく心中しようとしたそうです。
裁判では、みんなが涙ナミダだったそうで・・・、本当に悲しい事件です。
私はその話を聞いて、そこまで自己犠牲を払って母親の世話をした人が
裁判にかけられて、誰かに裁かれるのは間違っているんじゃないだろうかと思いました。
友達も何か心にひっかかるものがあるようで、じっと考え込んでいました。
2日を通して、考えたことは
人生についてまわる危険は数多いこと。
でも、それにビクビクして生きるのもどうかなと思いますけどね。
あらかじめ、そうした可能性があることについて覚悟を決めておかなければならないということだけは
確かのような気がします。
なんだか暗っ!
めちゃめちゃ暗い!
でも、ここにしか書けないからいいかなと思います。