高尾山古墳現地見学会に行ってきました | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

「古墳と道路の両立を」というタイトルで署名を集めていたのが8年前のことでした。あの時、本当に実現するのだろうかと不安を抱きながらも思い描いていたことがようやく実現する運びとなったのです。次年度、この4月から新しい設計案に基づいた道路と古墳整備の工事が始まるからです。

 

 

工事が始まれば、完成予定の10年後まで古墳内に立ち入ることはできなくなります。そこで企画されたのが今回の見学会でした。昨年末、1月22日と28日、2日間(10時、11時、13時の3回)の計6回の予定で、それぞれ30組の定員の参加者が募集されました。

 

 

私は、抽選の結果最後の回になんとか滑り込むことができましたので、今回参加することができたというわけです。希望日程はどこでも良いと書いたのが良かったのかもしれません。
聞けば、沼津近辺だけではなく全国各地から来られた方もいらっしゃったとのこと。改めて注目の高さに感心したものです。

現地見学会は2つのパートに分かれていました。ひとつめは、古墳から出土した副葬品(レプリカ)の展示でした。二つめのパートで説明がありましたが、この古墳は稀に見る未盗掘の古墳だったそうです。そのため、造営当時の様子を探る手がかりになる様々なものが見つかったとのことでした。

 

 

鉄製の槍の穂先
長い柄の痕跡が見出されたことから、剣ではなく槍としています。

 

 

あらかじめ割られた状態で埋められた銅鏡(破砕鏡)後漢代の上方作系浮彫式獣帯鏡。

X線写真で文字が少しだけ判明しました。

トレース図にはその「上」の字が小さくて…、見えません。

 

32個見つかった鉄鏃
柳葉式、腸抉式(わたぐり式)、長三角式の3種類に分類できます。

腸抉とは、刺さったらとっても痛そうな名前です。いや、他のも痛いでしょう。

 

以前の記事でもご紹介した、道路と古墳公園のデザインも展示されていました。

 

 

現地説明は前方後方墳の後方部の上で行われました。

 

このように墳丘を見通せる風景もあとわずかで見ることができなくなります。工事が始まれば近づくことはできませんし、完成後は橋が古墳の左側にできるからです。


解説中の文化財センター学芸員Kさん

 

前日の雨から一転、とても良い天気でした。墳丘の上は寒いだろうと万全の防寒対策で臨んだのですが、風がほとんどなく、寒さも苦になりませんでした。Kさんの解説は非常に熱の入った、時が経つのを忘れるものでした。
Kさんの向こう側に見えている段差の高い側が前方部、低い部分は周溝です。この古墳の特徴の一つとして、このように前方部と後方部の高さの差が大きいこと(4m近くある)が挙げられます。

当日配布された資料(の1ページ目と4ページ目)です。

 

 

 

A3サイズのため、分割してしかスキャンできず、少々見苦しいものになっています。
後日、沼津市のHPでも公開されるそうなので、まあこれは予告編と思ってください(公開されたらリンクをご報告します)。

 

なお、古墳そのものの資料ではない4ページについては、すでにHPで公開されています

資料にも要点が箇条書きになっているのですが、今回の説明のポイントをいくつかまとめました。

1)以前から宣伝されていた、東日本最古級かつ最大級の古墳であること。副葬品が未盗掘の状態で発見されたこと(上述)

 

2)古墳として特徴的な構造があること。造営当時、このようなものを作るには設計図があったと考えないと説明できないそうです。

 

3)当初は道路工事で壊される想定で調査したため、とても詳しいデータが取れたこと。その結果、極めて精緻に設計された構造になっており、造営時には設計図があっただけでなく、詳細な測量ができ、しかもそれを実現できるよう水準の高い土木技術があったと考えられるそうです。

 

4)副葬品の土器には地元産(専門的には東駿河形式)のものと、全国各地のものがあることはすでにわかっていたのですが、発見の報告後、国内各地の研究者たちがそれぞれのところで発掘された土器を見直したところ、結構な数の東駿河形式の土器があることがわかってきたそうです。北は宮城、南は鹿児島まで。関東一帯に非常に多いそうです。このことから、高尾山古墳被葬者を取り巻く経済的なネットワークも想定できるとのことでした。

しばらくフォローしていなかった研究の展開を知ることができたということで、個人的には特に最後のポイントが印象的でした。

説明は40分ほどで終わりました。参加者は私のようなジジイがほとんどかと思っていたのですが、若い親子連れの方々の参加も複数あり、将来に向けて希望が持てたというのも参加した大きな収穫です。

 

 

なお、古墳の国史跡指定意見具申書は昨冬すでに提出され、手順を踏んでこの秋には正式に国史跡指定告示となる運びだそうです。

実現の日は十年先。なんとしても生き延びなければなりません。