5月28日 ぷらタコり補習企画を行いました | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

昨日、129日にインフルエンザなどで参加出来なかった方が多数おられたことから、第3回とほぼ同じ内容(ドラマの進行などにあわせて若干の変更あり)の「東熊堂砦と『おんな城主直虎』時代の沼津」を行いました。

 

補習企画ということ、今年度は助成金も頂いていないことから公共媒体を使った宣伝は行いませんでしたが、それでも14名の参加者がありました。

 紫外線の強い5月の午前中でしたが、暑さにもめげず、皆さま愛鷹山麓の歴史を楽しんで下さったようです。

 

内容的には、以下に挙げる以前の記事と重複しますので、写真でのご紹介のみと致します。


ぷらタコり 「東熊堂砦と『おんな城主直虎』時代の沼津」(2017.1.29実施)のご報告

 

集合場所での説明です。


高尾山古墳の前に移動して説明をしました。

 

 

高尾山古墳はどうなるのか、参加者の方々からは保存に向けての現状などの質問もありました。心配して下さっている方が多いのは心強い限りです。現在道路建設と両立の方向で動いていますが、道路の形状など克服しなくてはならない問題点がまだあります。現市長は「重要性はわかっているので、両立する方向で努力している」と議会で答弁されていましたので、希望を持ちながら、多くの方々に古墳の意義を知って頂く活動をこのようにしている次第です。

 

 

青空に映える高尾山古墳。土嚢が痛々しいです。

 

 

高尾山古墳の東側の谷筋を流れる谷戸川です。普段は気にも留めない川ですが、絶えず流れて今の地形を作った立役者です。

 

 

東熊堂砦跡の土塁が唯一残るところです。木陰の下は、地元の人から「三角池」と呼ばれている澄んだ水の池(次の写真)。往時は砦の濠としても機能したのでしょうか?

 

 

池の上には大きな木が張り出しており、涼しい木陰をつくっています。池の中の鯉も涼しそうに泳いでいます(というのは人間の身勝手な主観にすぎませんね)。

 

 

 

砦跡の尾根を登ります。暑い日でしたが、風は涼しく、タコの旗もよくはためきました。

 

 

砦跡は地名からも分かります。今ではなくなってしまった字名が残っているのは、このようなガードの名称などです。

 

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』で、これから描かれるはずの今川の滅亡。その引き金を引いた一人は、葛山氏元という国衆でした。ドラマは徹底的に井伊直虎主観で描かれていますから(褒めています)、せいぜいセリフの中での登場でしょうね。ここは、その氏元が安堵状を発給した大泉寺の前です。

 

 

長塚古墳に来ました。この写真だけみると、何だか自然観察か昆虫採集の前の説明風景にも見えます(それはそれで面白そうなのですが)。「古墳や山城などは草木の茂る夏場に来ると形がわかりにくいので良くない」とは、奈良大学の千田先生の教え。その通りですね。

 

 

 
最後は地元のお店に貢献。武井牧場のソフトクリームで喉の渇きを癒やしました。

長塚古墳の近くには、明治の初めに入植した旧幕臣たちが緬羊牧場を営んだ場所があります。この武井牧場の牛舎もその近く。明治の歴史とは(多分)何の関係もないと思いますが、家畜を飼うことができる場所だ、という下地があったからこそ、現在の産業につながっていると見ることもできるのではないでしょうか。まあ、こじつけに過ぎませんが…

 

最後になりましたが、暑い中ご参加下さった方々、本当にありがとうございました。終了後、今後のテーマについてあれこれ雑談がありました。面白そうなものもありましたので、今後企画できるよう精進したいと思っています。