102回目の誕生日 | あたま出版ブログ 禿頭席(とくとうせき)

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6月23日。

今日は祖父が生きていれば102回目の誕生日となります。


私がまだ物心つく前に両親が離婚。両親に代わって祖母と共に私を育ててくれた祖父は、明治気質の厳しいワンマンでした。


私が幼いうちはいつもにこにこと笑っていた祖父。やさしくて頭の禿げていたおじいちゃんでした。

祖父の両親、私の曾祖父母や先祖の話、本籍地である豊中市利倉の話、先祖が没落して親兄弟が着の身着のままで大阪市内に出てきた苦労話や戦時中に空襲に遭い自宅のみならず周辺も皆灰燼に帰した体験談等、ありとあらゆる話を何度も何度も話してくれました。


若い頃は警察官。そして10年ほどで退官して個人事業を始め、その後色々な商売をし、最後は残念ながらほぼ全てを失いました。


警察官時代には一度だけ、天皇陛下の行幸の際の沿道警備を仰せつかったことがあり、「えらい緊張した」と言っていました。


最晩年は不幸なアクシデント等に見舞われましたが、それまでは失敗もしながらも色々な事業をしたりして波乱万丈の人生をそれなりに楽しんでいたようです。


そんな祖父の自慢。

それは、高松宮殿下に御奉仕させていただいたこと。

その時の写真は終生肌身離さず大事に持っていました。


柿本あつやの常在戦場
リフトにお乗りになられる高松宮殿下。後ろが祖父。



柿本あつやの常在戦場

昭和42年1月26日

万場高原スキー場(当時祖父が経営してた兵庫県北部にあるスキー場)第一リフトに乗られる高松宮殿下

御奉仕申し上げる柿本一雄56才



私がまだ幼い頃はひょろひょろと痩せていましたので、体力をつけるためにと毎週土日はほぼ必ず奈良や大阪の郊外へハイキングや神社仏閣巡りでした。


祖父には言いませんでしたが、正直なところあまり楽しくはなく、中学進学で祖父との「週末ハイキング&神社仏閣巡り」から解放された時はほっとしたものでした。

それなのに今では幼い息子を連れて神社仏閣巡りをしています(笑)息子は今のところ喜んでいますが、いずれ嫌がるでしょうね。


私が小学生の頃、祖父と奈良県のどこか、道に迷って草の茂った獣道のような道を祖父と一緒に歩いていますと、向こうから数匹の野犬の群れがやってきて、唸り声を上げながらこちらへやってきました。

ハイキングで歩き疲れた夕方、道に迷って気弱になっているところに野犬の群れに遭遇。焦ります。怖くて動けません。

すると、祖父が突然、、「おじいちゃんの後ろにおりなさい」と私を祖父の背後に匿ってくれ、ほぼ同時にそばに落ちていた枯れ木の枝を拾い上げ、それを振り回しながら大声で野犬を威嚇し始めました。

野犬は一斉に吠え、牙を剥き目が血走っています。


祖父も負けじと大声を出しながら木の枝を振り回し、やっと野犬の群れが背を向けて引き揚げていきました。

この時の恐怖と祖父の活躍は、あれから30数年経った今も鮮明に覚えています。


そして、もうひとつ私が覚えていること。

それは「お前だけが一番の頼り」と書かれた紙片

祖父が死の床についた時、あまり目が見えず力の入らない手で懸命に書いてくれた、この文字。

この紙を私に渡した後、「おばあちゃんのことは頼むで」と言ってくれました。


あれから20年。

「お前だけが一番の頼り」・・・この紙は今も財布の中にしまって持ち歩いています。


今でもたまに祖父も祖母も夢に出てきます。

妻も曾孫も見せてあげることは出来ませんでしたが、今ごろは祖母とともに、きっと極楽から私達のことを見てくれているでしょう。


ありがとう。おじいちゃん。


柿本あつやの常在戦場




柿本あつやの常在戦場

雨天の日本に虹を架けます


柿本あつやホームページ
http://www.kakimotoatsuya.jp

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