担任の先生は、3年生の時と同じく、強豪バレー部の怖い怖い先生。笑
小4から部活が始まる。
スラムダンク全盛の時代。
意気揚々と「バスケットボール部」と書かれた入部希望用紙を提出しに担任の先生の元へ向かう。
当時なんて言われたかは覚えていない。
結論から言うと、バスケットボール部への希望は受理されず、たしか「あなたはバレー部に入りなさい」的なことを言われ、気の弱い子供だった僕は気づいたらバレー部に入っていた。笑
当時長身だった森下ゆずる君も、僕と同じ状況に立たされたが、彼は気が強く、信念を曲げることなくバスケットボール部に入部していた。素晴らしきバスケライフを送ったに違いない。
ゆずる君はゆずらなかったんだなぁ。
そしてあろうことか僕は、気づいたらバレー部だけでなく、その延長線上にあるクラブチームの方にも入っていた。
何年か連続で愛知県で一位になり全国大会に毎年行くような強豪チーム。
上の代も下の代も全国大会に行ったが、僕らは行けなかった。笑
立ち直れないくらい悔しかったんだよなぁ。
でも最初の方は普通にサボったりしていた。笑
選抜されて一時期だけ活動する陸上部の方にでて、まだバレー部はやってるから出ればいいのに帰ったりしていた。笑
怪我してるとか言い訳して帰ったりしていた。笑
怪我してるって言い訳してる日陸上の練習出てるのに。笑
いったいいつスイッチが入ったんだろうか。
そんなこんなの恩師との出会いから、バレーボールとの出会いがあり、今はビーチバレーだけど、まだ続けている。
あの時バスケ部入ってたら、今はなにしてたかな。
そして今年その先生が定年退職を迎えられます。
昨日そのお祝い会を行いました。
が、大事件ばっかりである意味忘れられない日になりました。笑
小学生当時、先生が怒って「もう練習しなくていい」的なことを言って出て行ってしまうイベントがよくありました。
イベントて。
その度に僕たちは、「お願いします!やらせてください!」と後を追います。
先生は教室でテストの丸つけとか始めちゃってるんですよね。
鍵かけて。笑
外で並んで出てきてもらえるのを待つあの光景。僕たちのあの出待ちの位置どり。
30歳を迎える僕たちが、時を超え、再びあの出待ちを決め込まなければいけない状況になると、誰が想像しただろうか?笑
怒らせたとかではないんですけどね。笑
ただ怒っている可能性もありましたが。笑
細かいことは内輪ネタになってしまうので、ここでは割愛しますが、とにかく忘れられない日になりました。
先生にも出待ちの結果会えたし、プレゼントも渡せたので良かったです。笑
これでだいたいわかるかもしれませんが、アポはちゃんと取って、前日にも確認しましょう。笑笑
先生だけでなく、久々に会えた仲間もいて、幹事はいじられ、みんなずっと笑っていて、やっぱり一緒に頑張った仲間ってのはいいもんだよなぁと思いました。
集合写真も撮り、送られてきたのを見ましたが、もうみんなおっさんでした笑
リフレッシュできたのでまた頑張ります!!