思考思考思考思考思考思考 | ビーチバレー 清水啓輔のブログ
固定概念に縛られることは、思考を止めるということ。



思考を止めたとき、成長は止まり、外見、人間的にもどんどんと老け込んでいくのだと思います。



スポーツの世界では「意識高く」「考えてプレーしろ」なんて使い古された言葉だけど、それを本当の意味で実行できている人はどれくらいいるだろうか?



そして自分は他の人と比べて、どれくらい思考できているのか。



それは実際に比べることはできないのだけど、幸か不幸か、僕は理屈っぽくて、屁理屈大好きで、人の揚げ足を取りたがり、常に物事を斜めから見ている為、その辺りは少しアドバンテージがあるのでは?なんて思ったりもします。



それ故女の子にはモテませんけど(^^;;笑



それはそれだけが理由じゃないか笑






固定概念や文化、伝統、常識に縛られている人、あたりまえにこだわる人、新しいことを学ばない人、学んでも鵜呑みにする人は、老けるのも早いのかな、と感じます。



そしてそれを自分の中だけで消化してくれれば話は簡単だけれど、それを押し付けてくる人もいるから大変だし、それが立場上、上の人だったときは対処に困るわけです。



これはずっと続けてきた事だから…
日本人だから…
古き良き…
偉い人が書いた本に書いてあったから…
自分はこれで成功したから…



思考停止感半端じゃないです。



一瞬で老けますね。笑



学校での教育も、子どもの思考を停止させていると感じることが多いし、特に部活なんかはそうです。



ジュニア世代で強いチームは、軍隊的で、みんなでランニングして、みんなで同じストレッチをして、同じ練習をして、監督に檄を飛ばされ、ロボットの様にコートでプレーしている。



ジュニア世代の思考に頼るよりは、監督の思考を刷り込んだ方が早く結果が出ますから。



でも、当の本人たちの為にはなに一つなっていないし、思考しない人間を作り出しているだけです。



そして、そんなことをする監督に限って、自分だけの経験に頼り、新しいことを学ぼうとせずに指導している事が多いのではないでしょうか。



指導している人間も、思考していないのです。
結果、そのチームの誰一人として思考していない。
なんたる愚の骨頂。



自分もそんな下でプレーしていた時期もありましたが、我慢できずに辞めました。



怖いのは、そんな自分の方が異端児扱いされてしまうところ。



続けることが素晴らしい、継続は力なり、と日本の美徳を押し付けられて育ったことが要因だとは思いますが、何を継続したらいいのかまでは考えられない人間が育っただけだと僕は思っています。





固定概念に縛られ、常識の範囲内で思考停止状態でどんどん老け込んで、まぁそれでもなんとなく普通に生活していけたら幸せという人もいるかも、いや、それが多数かもしれませんけど、僕にはたぶん無理です。




そして、思考を広げたければ、同じ場所に居続けること、また過去にすがっていくことは辞めた方がいいと感じます。




より良く生きていく為には、時には切り離していくことも大切なのではと感じることもあります。




それがなかなかできなくて、困ったりもするのですけど。







ってなんのオチもないんですけど、読んでいただいてありがとうございます。笑



この記事を書くにあたり、僕は思考したので、ケイスケ的にはオールオッケー笑



夏が来ますね!!