『 走る ・・・』
昨日は、第58回全国高校駅伝が開かれました。
午前女子、午後男子、併せて564人の選手達、全国47チーム(都道府県)の代表が、ここ都大路の42.195kmに舞台に様々な想いや背景を持ち込んで一点に集中していました。
・30年連続出場校
・20年振りの出場校
・男子、女子共に連続出場。
こんな、実況の説明を聞いていると改めて『継続するための力』の凄さを感じずにはいられません。
もちろん、一区間を監督の指示を懸命に守りながら実力以上の「走り」をする選手個人のモチベーションは、筋書きのないドラマとして画面からヒシヒシと伝わって来ます。
思惑が叶わなかったり、バトンをせずにもう一区行けそうな勢いを残せたり、特に予想されていたアンカー勝負のトラックバトルには、高校生とはいえ「圧巻」の一言。
自分の前を走った6人の手からバトンされたタスキを手にし、「走る」事への目的、技術以上の「意地」が画面をとおしてダイレクトに届きます。
良く、「強いものが勝つ」と言います。
統計学、平均値、読み、感、予測・・・これらすべてに共通する事は、これから起こるであろうことに「・・・・だったら勝つだろう。」とこれからを表す言い方です。
しかし、大事な事は、「勝ったものは強い」と言うことの方が本質で、予測は出来ないけれど勝つ為に必要なすべてを見えない「力」や「姿勢」や「タイミング」を呼び込んでくるから「勝利」するのであって、強いとされる者が最初から準備してある情報だけで勝てる訳ではないのだと言うこと。
「走り方」を工夫し考えて、さらに「走り方」を変えて、さらに考えて『走り』 勝ち取る勝利。
レースに勝つ事、すなわち自分に勝つ為に・・・
『走る!』
子供達の良いレースに
『心』が酔いました。
『 語録・・・』
やってみせて
言って聞かせて
させてみて
ほめてやらねば
人は動かじ
山本五十六 氏の有名な語録です。
けれども、この言葉には続きがあるらしいと言うことを最近知りました。
話し合い
耳を傾け
承認し
任せてやらねば
人は育たず
やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず
またしても、知らなかったことと出会ってしまい
初めて聞く言葉でありながら
その意味のふかさには
胸を打たれ
心を揺さぶられる思いがします。
家庭でも、実社会でも人間と人間のかかわりが存在する以上、
避けては通れず、誰でもが実践できるはずなのに・・・・
山本五十六 氏が誰なのかを知らなくても、
数多くの先達の師が残してきた゛心に響く゛語録が、
私たちの日々生活に共感するのであれば
耳を傾け、その一部でも良いから気に掛けて、実践し、手応えを感じ、
次にバトンタッチできたら良いと思う。
心に響く 言葉やしぐさは 何十年経っても 間違いなくリアルタイムに輝いている。
それだけ、素敵なことなんだ。
『勘違い…』
タイトルに『夢』 などと記すものなら、これからの抱負とか達成するまでのシナリオなどを連想されるだろうが、書きたかったのは寝ている時にみる「夢」…
・知らない土地に行ってわくわくする「夢」
・過去に経験済みの懐古系の「夢」
・仕事の続き見たいな「夢」
・動物目線な「夢」
・もう少しで全てが判明するはずだったのに寸断されちまった、ジラシ系な「夢」
・デジャブーじゃないの?みたいな逆デジャブーな「夢」
書き始めればキリがない。
で、どれもが単独構成ばかりだと今の今まで思っていた事がちょっと間違いだった事に気がついた。
それは、どの「夢」も最後は独りぼっちになってしまうってこと。
そこが山でも、海でも、町中でもね。最後は独りなんですよ。
これって、人格・性格がそうさせるんでしょうか?
今夜の「夢」は、このテーマで迷走する予感が…
どうでしょう。
Khaki
・知らない土地に行ってわくわくする「夢」
・過去に経験済みの懐古系の「夢」
・仕事の続き見たいな「夢」
・動物目線な「夢」
・もう少しで全てが判明するはずだったのに寸断されちまった、ジラシ系な「夢」
・デジャブーじゃないの?みたいな逆デジャブーな「夢」
書き始めればキリがない。
で、どれもが単独構成ばかりだと今の今まで思っていた事がちょっと間違いだった事に気がついた。
それは、どの「夢」も最後は独りぼっちになってしまうってこと。
そこが山でも、海でも、町中でもね。最後は独りなんですよ。
これって、人格・性格がそうさせるんでしょうか?
今夜の「夢」は、このテーマで迷走する予感が…
どうでしょう。
Khaki
『 流行の いみ ・・・ 』
娘 1号、2号、3号 の静かな視線を感じつつ、今年も戦慄を覚えずには居られん時期がやってきた。
流行の色は? 形は? ・・・・でもね、
「流行がどうの、良いの悪いの」って言っている時点でさ、
流行の影響下にある、ってのは謎かけみたいだけど免れない本当の事だとおもわない?
流行の影響下にある、ってのは謎かけみたいだけど免れない本当の事だとおもわない?
ジャンルによっては、相当疎い方だと思います。わたし。
それでもやはり流行という言葉を意識しているがゆえに、流行っているかいないのかを気に掛けながらの今があります。
それが良いの!悪いの!の物差しで図ることはあまりにも短絡的だと思いますが、それでも流行というのは、そのジャンルの物量を膨らまてしまうことも同時に意味するので、個々の純度が下がる、言い換えれば得られるはずの物を得られない率が上がってしまう。
という事でもあるんじゃないのかなぁ!
勢い良く膨らんだ分、収束してしまった後の緩みっぷりに世の視線は冷たくて、
その良かれ、悪かれなどは 語られる機会さえ薄くなる。
いわゆる「人のうわさも75日」って奴ですよ。
良いモノは良い。
究極のところ、その最後の一手を決めるのは他の誰でもなく自分でしか有り得ないわけですから。
それを実感出来ない事、大した事無いモノを崇める事はとても怖い事なんだと思わずには居れんのですわ。
それを実感出来ない事、大した事無いモノを崇める事はとても怖い事なんだと思わずには居れんのですわ。
無関心がこの世で一番寂しい事。
世の中のすべてに自分の価値観を当てはめて行ったらいざこざばっかりになってまうだろう。
小さな自分の周りに我がままを散りばめて、気が趣くものにおいてぐらいは
陳腐と言われようが、うそ臭くさいと見られようが、感じたことを形にしていければそれで良い。
そう、思う人 手ぇ 挙げてっ!・・・・・