E118 アルバム「名前のついていない場所へ」撮影のお話 | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

E118 アルバム「名前のついていない場所へ」撮影のお話

「太陽の鼓動」の話を書いてたと思うがファーストアルバムの時の話に少しだけ戻ろうと思う。

 

ファーストアルバム「名前のついていない場所へ」はアメリカのテネシー州にあるナッシュビルという街で録った。

音楽の街として栄えていて、当時アメリカの50%のレコーディングがナッシュビルで行われてると聞いた。

 

ナッシュビルは南部の州で南北戦争の時には奴隷制に賛成していた州だ。

本当に恥ずかしながらそんな歴史も知らず(意識もせず)どんな状況かも知らず行った(反省している)。

 

僕が行ったのは1993年、ハイウェイの出口のところにあきらかに貧しい黒人が立っていた。

ガイドをしてくれたミスターナッシュビルのケーシーは「ホームレスや」と言っていた。

 

「お店には黒人の人たちもいるじゃない」と僕が聞くと「それはお金持ちや」。

ダウンタウンに来る黒人は富裕層らしい、居住区も分けられてると教わった。

そういえばプレスリーも黒人居住区で育ったと映画で観た。

だからあのロックンロールのプレスリーが生まれたのだと映画で知った。

 

ジャケット撮影をするためにナッシュビルの色々な場所に行った。

思っていたより街はおしゃれで楽曲のイメージに合わない気がした。

カメラマンのアリガさんがもっと田舎に行きたいと行っていた。

いわゆる黒人居住区で白人はあまり行かない場所ということだった。

 

ケーシーは「危険やからあんまり勧められないなぁ」と言った。

 

でも行ったのだ、アルバムジャケットは危険と言われてる場所で撮った。

僕は全然危なさみたいなものは感じなかったけどケーシーはピリピリしてた。

 

後悔してもしょうがないんだけど、やっぱり後悔している。

もっとアメリカ社会を知っておくべきだったと、歴史や地理を知っておくべきだったと。

いまさらそんなこと言ってもしょうがない、だから今知ろうとしてる。

 

撮影はずっと緊張していた。

初めてだし、アメリカだし、危険と言われてたし、写真は照れくさく苦手だし、色々だ。

黒人居住区で移動中に食料品を売ってるマーケットみたいなところがあった。

その時は張りつめてた緊張がほどけたなぁ、子供はかわいい。