97 3rdアルバムキャンペーン中 1.17 | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

97 3rdアルバムキャンペーン中 1.17

95年になってからも3rdアルバム「Rolling DOWN HOME」のキャンペーンで全国を回っていた。

いろんな街に音源とポスターを持って回った。

 

この日もデビュー当時から応援してくれていた北海道の玉光堂のイベントで帯広にいた。

次の朝、テレビをつけたら「え?!嘘でしょ?!」。

チャンネルを変えても全部同じ映像だった、信じがたい光景が飛び込んでくる、阪神淡路大震災だ。

 

まだ状況はわからず、情報もはいってこなかった。

 

関西地方はよく行っていた、放送局やCDショップ、大阪営業所、三角公園、神戸、三宮、梅田、奈良、京都、初ラジオ出演の須磨、クワトロ、バナナホールetc.

 

行ったことのある街や場所、人を思い出していた、みんな大丈夫だろうか。

こんなことが起きるなんて、言葉がみつからない、すごくショックだった。

 

誰かが傷ついてるかもしれない、身近な人が、そう思うと言葉を出すことに躊躇してしまう。

電話も回線がパンクするからなるべく控えるようにとなってたから、家族や友人との連絡がとれなかったことは本当に辛かったと思う、この頃ケータイ電話の普及率は10%もいってなかったらしい、ちなみに僕も持っていなかった。

 

しばらくして被害がとても大きいということがわかった。

生きてきた中で一番おおきな災害に直面した、どう話していいか動いていいかわからない。

 

そんな中アルバムのキャンペーンは続いてた。

関西のキャンペーンは地震の後だった、もちろんたくさんのところが今回はということになった。

3rdアルバムタイトルが想像させてしまうのだ。

なんとか出させてもらったラジオでもアルバムタイトルを言うことを自粛した。

 

3月にツアーが決まっていて、大阪も入っていた。

見ておかなきゃ、なんでこう思ったのだろう、大阪の友人にお願いして震災後の街を一緒に歩いてもらった。

不謹慎なんじゃないかと言う言葉がメディアでも、頭にもちらついていた。

これに対しては賛否両論あるのはわかってたけど行った。

だから誰にも言わなかった。

 

現地に着いたらテレビで見ていた映像以上に壊れていた街にショックを受けた。

倒れた高速道路、崩れたデパート、JRからみたとある区は映画の大セットのように街が無くなってた。

つい数ヶ月前いった三宮は想像以上だった、道は瓦礫で道もあちこち瓦礫でふさがっていてまっすぐ歩けない、粉塵がすごく普通に息が吸えない目が痛い。

電車も途中までしか走ってなくバスと併用しないと目的地にたどり着けない、地下からは臭いが上がってくる。

 

僕なりにこの景色と臭いは忘れないようにしようと思った。

どうしてもさけられないことだから忘れないように書いておく。