映画「福田村事件」を観て | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

映画「福田村事件」を観て

集団心理は怖いというところに焦点があたるのはどうなんだろう。

事件と呼ぶのもどうなのか。

 

事件というのは、どこか「しょうがなかった」感が否めない。

何かのはずみで起きてしまったみたいな言い方だ。

 

中川五朗さんは福田村の虐殺と歌っている。

 

朝鮮人に間違われて日本人が日本人に●されてしまったという悲劇の事件だったというのか?

「朝鮮人なら殺してええんか?」映画の中の瑛太さんの台詞が強くうなずかせる。

 

違う、何人だろうと誰の命も奪ってはいけないはずだ。

「お国を守るため」というつかみどころのない正義感で正当化されることに恐怖を覚える。

 

日本人が日本人の命を奪うなんてことは、この後くさるほど出てくる。

治安維持法で、インパール作戦で、防空法で、特攻隊で、回天でetc.

「お国を守るため」というつかみどころのない正義感はたくさんの日本人の大切な命を奪った。

 

福田村、村人の噂だけではああはならなかったろう。

 

新聞は「真実を書かせてください」という記者の記事を出させなかった。

政府も一緒になって差別を助長した。

 

大きな権力が虐殺を許した。

 

数年前安倍政権下で大久保の韓国人へのヘイトデモを思い出した。

「韓国人を●せ」と書いてあるプラカードを持って旭日旗を振り回しながら町を練り歩く人達。

 

政府やメディアに見逃されるヘイトスピーチ。

我らはスゴイと旗を振る人達をみて怖くて震えた。

排除排斥は数年後に戦争になることは歴史が証明している。

 

忖度するメディア、恐怖を煽る政府、言いにくい空気。

100年前と今が酷似していると思うのは僕だけだろうか?

 

政府やメディアが腐ると社会が腐る。

 

この映画をたくさんの人に見て欲しい、心からそう思った。