51 名前のついていない場所へ そして30年 | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

51 名前のついていない場所へ そして30年

ナッシュビルレコーディング2。

アコギのダビングとボーカルREC。

 

日本から持っていったタカミネギターがギンギンに鳴る。

アメリカの土壌にはアコギがあう、こんなに綺麗に力強く鳴るものか、アコギが愛されるわけだ。一曲だけオベーションの12弦ギターを借りた、これもとてもいい音がした。

 

全体的に言えるのはナッシュビルで鳴らすアコギは音に芯があることだ、空気を伝わりながらマイクに音がスッと入っていく。

 

録音はマイクで録る、歌や演奏をマイクで録る。

空気も一緒に録る、気持も一緒に録る。

当たり前だが実はとてもありがたく素晴らしいことだと今痛感している。

 

あの熱いセッション風景を思い出しながらヘッドフォンをゆっくりつける。

マイクの前にたって深呼吸「俺はこれをしに来たんだ」と確かめる。

 

見るもの聞くもの全てに感激しまくってた、舞い上がってた気持を落ち着かせる。

そして「いくつもの夜を越えて」を歌った。

 

全曲にブライアンアダムス の様に「イエィ!」か「オーオ」が入ってる、これはこだわりだった。

声を出したくてたまらなかったのだ、そこになんの作戦も計算もない、ここに来て大好きな楽器を弾いて歌う、ただそれだけだった。

 

正直、正直に言うと。

歌のリズムも甘い、ピッチも甘い、声も出てないところもある。

自分のギターも揺れたり突っ込んだり、いろいろだ。

テープで録音しているから修正はきかない。

若さ未熟さが「ありのまま」録音されている。

 

「よくこれ出したよね、ビックリしたよ」

このアルバムを聴いたギタリストの鎌田ジョージさんがニコニコしながら言った。ジョージは後にやるライブツアーでギターを弾いてくれていた。

 

「イイって言う意味だよ!すごいっていう意味だよ!これやらせてもらえるカキはスタッフに恵まれてるよな、いいなー」とさらにニコニコしながら言ってくれた。

当時は意味がわからなかったが、今はその意味がとてもわかる。

 

この言葉を言ってくれたジョージは数年前に亡くなってしまった、とても悲しい。

ジョージの言う通りで、こんなに自由な気持になれたのは生まれて初めてだった。

こういうことがやりたかった、こういうのがやりたかった、これをやりたかった。

このアルバムを作ってくれたスタッフのみなさんに今も心から感謝している。

 

そして……

 

1993年8月21日にビクタースピードスタ-からアルバム『名前のついていない場所』でデビューした。

ジャケットに自分の名前もタイトルもない。

こっから先の未来も、自分で名前をつけていけという意味だ。高校の卒業アルバムのあの空欄に、最初の一歩が埋まった。

 

あれから30年。

 

あの頃の状況とはいろいろな意味で全然違うけど、愛かわらず歌っている。

僕にはふんばれる足場があり続けたみたいだ、僕は本当に恵まれてる。

家族や友人、音楽を聴いてくれる人達のおかげで、愛かわらず歌い続けられてる。

 

そして今日はデビュー30周年ライブの最終リハだった。キーボードの西本明さんが「この曲は大切なんだよね、わかった!」といって演奏してくれてた。アッシュポテトの麻生くんと俊のリズムが心と体にズンズン響いた、10年以上の心強い相棒だ。

 

いつかは終わってしまう、いつ終わるかわからない、あと何回会えるんだろう、あと何回演奏できるんだろう。

こうして集まれて音を出せていることは、当たり前なんかじゃなくありがたいことなんだと、リハの帰り道かみしめた。

 

今週8/19(土)横浜サムズアップで柿島伸次30年周年記念レコ発ライブをやる。

 

土曜日は精一杯人生を楽しもう。

大好きなことをやれる幸せをかみしめて。