45 何度でもこわれてやるさ WINDING ROAD
大事な言葉はとっておいた。
これはシンガーソングライターなら誰でもやってることだと思う。
この言葉を、この想いを言いたい、だけどこのメロじゃない、今じゃなかったっていうこともある。
歌を作る時も、人と話す時も、文章を書く時も「その時」があるのだと思う。
大切にあたためてた言葉、メロディー、アレンジなどを新しいカタチとして生み出すのだ。
あの時の作品をバラして再構築していく、そうバラすのだ、ピースは大切にとっておく。
ギアがかんだと表現したのは、カラ回りから抜けて走り出すということ。
今まではテーマはあるのに方法がわからない状態だったがまずは一歩前進ということ。
ピアノで大好きな奏法があった、右手のボイシングが特徴だ。
この奏法で歌うと歌を邪魔しないということに気づいた。
伴奏が重くならず声がすっと浮き出てくる、この奏法を使ってピアノを弾くことが多くなっていた。
夕暮れ時2DKの6畳の部屋、カーテンがかすかに揺れるくらいの心地よい風。
この環境が心を落ち着かせなごませた、楽器に向かう時にこういう心境になることってある。
彼女ローンで買った電子ピアノのフタをあけスイッチを入れる。
ゆっくりと鍵盤に指を落としDコードから大好きな奏法でバラードのテンポで左手のベース音を2拍づつ上げていった。
あくまでも僕だけの体験だが、今まで聴いたことがないキレイな進行、何度も繰り返し弾いた。
このフレーズを弾くことによって心が落ち着き、なぐさめられ、立ち直りたくなる、そんなフレーズだった。
これをイントロにしよう、そしてこの情感で今まで心にためておいた言葉、メロディー、アレンジを入れていこう。
メロとコードを同時に作っていった、日本語が入りやすいように。
これはギターじゃないピアノだと思った、ピアノの優しや力強さがしっくりきた。
夕暮れの中で歌詞をラララで歌っていたら、今までの想いがこみ上げてきた。
役者をやめた19歳からはじまって……
たくさんのライブ、受話器越しの弾き語り、録音機材大人買い、週2の曲作り、失敗したバンド、タウパーに書いたウエイター時代、ゴミ置場のおじさん、洗い場のおばちゃん、夜の代々木公園で開けたギターケース、パンチパーマ君、路上ライブでもらった女の子の手紙、坂の上のアパート、スタジオ24、歌う弁当屋、本牧Aコース、三渓園のジョンレノン、落ちたオーディション、何回も録ってくれたデモテープ、コーさん、ケイさん、ヒロさん、リュウさん、ヨーさん、社長、氷丸めるマンetc.
これだ。
路上ライブで必ず歌ってた歌の一節「何度でもこわれてやるさ」をサビに入れた。
サビのコード進行は大好きなあの奏法だからこそ考えることができた。
つたないながらも一つのカタチを作り上げることができた。
この歌は何回も試行錯誤を繰り返し『WINDING ROAD』という曲になった。
大切なのは決して倒れないことじゃなくて、倒れても何度でも起き上がることだと思う。
だけどこれには必要な条件がある、それはふんばれる足場だ。
足場というのは『時、人、物、場所』自分を取り巻く全ての環境だ。
たくさんの人たちに支えられなければカタチにならない、決して一人では無理だ
僕にはふんばれる足場があった。
倒れても何度でも起き上がれる足場があった。
僕はとても恵まれている。
たくさんの『つながり』が誰かの想いをカタチにしていく。
この『WINDING ROAD』でビクターが本腰を入れて動き出してくれた。
そしてこのデモテープを、一度オーディションに落ちたユイ音楽工房にもう一度持ってってくれた。
しばらくして2DKのアパートの家にユイ音楽工房のリュウさんから電話があった。
リュウ「もしもし、正式にユイ音楽工房と契約することに決まりました、おめでとうございます!」
その電話を切った後、彼女と抱き合って泣いた。
僕は26歳になっていた。