42 1Kから2DKへ 新たな暮らし
17歳の時から付き合ってる彼女がいた、高校時代同じクラスだった。
文化祭初バンド、受話器越しの「明日になれば」、路上でチラシまき、マーチンを買った時、ピアノを買う時のローンの勧め、いつもそばにいた。
25歳になったら結婚しようと約束していた、それまでになんとかしたいと思っていたがいつの間にか25歳になっていた。
20代の時間はものすごいスピードで進んでいく。
弁当配達しかしてない自分には結婚なんてまだ無理だと思っていた。
「結婚は一人前になったらとかじゃないよ、一緒に一人前になっていけばいい、苦労も一緒、喜びも一緒」
父親のその言葉に背中を押された。
結婚することを決めアパートを探す、と同時に一番安い式場を予約した。
親戚に挨拶をして日取りまで決めた。
そのことをデモテープを取り続けてくれているケイさんに話したら「何考えてるんだよ?これからデビューしようとしてるやつが」。
二人で色々と考え延期した。
式場のキャンセル料は5万円かかった、親戚に一人一人電話であやまった、アパートは敷金礼金払ってあったので引っ越しはすることになった。
結婚は延期になったけど約束をやめたわけじゃない一緒に人生を共にしていくことになった。
結婚というカタチではないが父が言ってた苦労も喜びも一緒の生活が始まった。
この結婚式キャンセルがのちに大きなギフトに変わる。
かくして住処は1K一人暮らしから、2DK二人暮らしになった。
横浜駅がなにかと便利だろうと横浜駅周辺で探してたら家賃が高くてどんどん遠ざかり、結局どの鉄道も走ってないバス便のそれもバス停から徒歩10分、森の中の一方通行の道路を入った場所にアパートはあった、家賃だけで選んだらこうなる(笑)。
赤く錆びた外階段を上り下りすると音がして揺れて。
洗濯機は外置きだったので冬は凍えるほど水が冷たくて。
トイレは水洗だったがフタがついてなくて(もちろんウォシュレットなんてない)。
玄関と台所は真東だったため朝は眩しいほど明るくなり玄関は焼けて薄くなって。
4畳半のリビングは西日が強くて日が落ちるまで眩しい、夜中になっても熱がこもって。
駐車場はいわゆる土で、雨がふると水があちあらこちらにたまって、水たまりをよけて車に乗って。
風呂には小さな穴が空いてて、これはさすがにと大家さんに「すぐ直してください」と言ったら、僕がバイトに言ってる間に勝手に入って「穴、ふさいどから」とヘラヘラ笑いながら言った、勘弁してほしい(笑)ゆるい時代だった。
色々書いたがいわゆる「ぼろあぱーと」なのだ。
弁当配達のバイトは別の支店に場所に変えた、相変わらず弁当配達、一人になれる。
なんとそこにギターのヒロさんもいた、同じバイドを数ヶ月間一緒にやった。
配達コースが川崎方面の工場から工場へ配るコースになった、横浜観光地を配ってた本牧Aコースが懐かしい、Aコース……よかったなぁ。
バイト代は相変わらず「汗のお金」の封筒に入れて大事に使った。
そしてここからは2馬力になった。