29 チャレンジバンド 2回で解散 | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

29 チャレンジバンド 2回で解散

この頃のライブスタイルは、

弾き語り、弾き語り+カズヤ(タンバリン、コーラス)でやってた。

 

どちらもやる曲は同じ、アレンジがほんの少し変わるくらいだった。

正直少し行き詰まってたかもしれない、どうやっていいかわからなくなっていた。

 

「バンドをやってみないか?」コーさんの提案だ。

なにか別にもっとあった方法があるんじゃないか?と模索がはじまっていた。

始まったばかりだなんか思い切ったことをしてみよう。

ライブハウスや横浜のスタジオにメンバー募集のチラシを撒いた、ドラム、ベース、ギター求む、全部だ。

 

弾き語りで月一回出てるシンガーソングライターということだけで他に情報がない僕だが、コーさんが「柿島伸次というやつとバンドやってみないか?」と若いミュージシャンに声をかけてくれた、流石コーさんだ、数ヶ月後メンバーが集まった。

 

バンド名は「DADS」。ダッズと読む。

「ロック界の親父みたいでかっちょいいじゃないすかー」とギターのカズタカの一言で決まった。

 

このバンド用にバンドっぽい曲を作った、バンドっぽい曲って(笑)またしても覚えてるだけタイトルをあげておこう。

 

「Fighting R&R Band」「Runner」「どうにかしなくちゃEvery day」「Blue boy Blues」6曲くらいあったけど思い出せない。

このバンドでとある挑戦&テストをしてみたのだ、僕がギターもピアノも弾かないでマイクだけでやるというスタイルを。

 

続かなかった、2回ステージをやってあえなく解散。

 

僕が楽器を弾かないで歌うことが出来なかったのだ、マイクスタンドでアクションができるわけもなく、ミックのように華麗に飛び跳ねることもできるわけでもない、終始手持ちぶたさで落ち着かないステージになった。

僕の責任で解散、集まってくれたメンバーには悪いことをしてしまった。

 

曲も無理をしてるのがわかる、タイトルを見ても世界観が違うのがわかる。

背伸びをしてみたかったのだろう、でも背伸びはつかれる、爪先立ちで歩き続けることはできないもんね。

 

この失敗は収穫だった「このスタイルは違うな」ということがわかったのだから。

ギターを抱えると落ち着いた、それから今の今までギターを抱えている。